我が家の花々2

◎今年もわが家の桜が、咲きました。
 妻が足の治療を継続中のため、私がずっと花の水やりをしています。
 なかなか、十分な管理が出来ないので、心配でしたが、花開きました。
 感無量です。その外、水色の花々も咲き始めました。
     令和5年3月24日(金)

我が家の桜が咲きました。
カラスに枝を折られたりしましたが、それにも負けず、元気に花を咲かせました。
  令和4年3月29日(火)

我が家の桃の花が、満開となりました。
令和3年4月3日(土)

我が家の桃の花が咲きました。
令和3年3月27日(土)

我が家の桜が満開になりました。
令和3年3月19日(金)

我が家の桜が満開になりました
我が家の桜が満開になりました
我が家の桜が満開になりました
我が家の桜が満開になりました
我が家の桜が満開になりました
我が家の桜が満開になりました
我が家の桜が満開になりました
我が家の桜が満開になりました

わが家の桜が開花しました。カラスにいたずらをされ、もうだめかと思いましたが、頑張りました。
         令和3年3月15日(月)

我が家の桜が開花しました
我が家の桜が開花しました

 

我が家の花々、暑さにも負けず、生い茂っています。
令和2年8月20日(木)

我が家の花々が1年ぶりに復活をしました
平成31年4月16日(火)

我が家の花々
平成30年5月15日(火)

我が家の花々 ばら
平成30年5月5日(土)

 

我が家の桜が満開になりました。
  平成30年3月23日(金)

我が家の花々H30.3.20
我が家の桜が咲きました
我が家の花々2017.12
我が家の花々2017 12

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我が家の花々2017 12
我が家の花々2017 11
我が家の花々H29.6.5
我が家の花々H29.6.5

我が家の花々は四季おりおりの風情を見せます。

平成28年4月13日(水)
桃の花が更に多くの花を咲かせました。

 

平成28年4月10日(日)
妻ともうだめかも知れない、しかし我慢して見守ってみるか、と言っていた桃の花が咲きました。まるで人生の縮図を見るかのように。

平成28年3月26日(土)
桜の花が咲きました。

赤ちゃん時代のるい君

我が家の愛犬るい君


るい君が我が家に来てから9ヶ月となりました。

るい君が我が家に来て1年目を迎えます。

るい君が一年9ヶ月目を迎えます。

るい君が2歳になりました。

初めて海を見、感動するるい君
初めて海を見、感動するるい君
昼寝をする るい君
転居先で元気に暮らするい君
くつろぐるい君
くつろぐるい君
ボクるい君だよ
トリミングを終えたるい君
トリミングを終えたるい君
トリミングを終えたるい君


転居先でトリミングを終えたるい君

我が家のみんなに愛されたインコ凛ちゃんです。名の通りいつも凛として笑顔を絶やす事がありませんでした。病を抱えていたので通院をしていました。注射をしたりレントゲン撮影、投薬を続けました。何度も死の淵まで行きましたがその都度驚異的な頑張りで回復しました。しかし、徐々に体力を失って行きました。腫瘍があった為、体力が回復すれば手術しようとの話がありましたが、とうとう力が尽きたのか亡くなりました。亡くなった時も顔は写真のような安らかな笑顔でした。食事をする時も家族が全員揃わないと食べず待ち「ピー」と鳴いてみんなに集合をかけました。この笑顔の写真は私の心臓手術の時も妻が入院をした時も病室のベッドに掲げました。火葬に付し49日まで部屋の凛ちゃんの大好きだった鳥かごに位牌を安置しました。今は我が家の庭に埋葬しています。我が家に笑顔と頑張りもたらした凛ちゃんを家族はみんな幸福の青い鳥と呼んでいます。

凜ちゃんの思い出

凜ちゃんとの出会いは、娘が、ペットショップにインコを飼育しようと、探しに行ったのが、始まりです。覗いたところ、沢山のインコの幼鳥がいましたが、なぜか、一羽のインコの赤ちゃんが、よちよちと歩いて来て、指をつついたそうです。それで決定をし、我が家に来ることになり、凜ちゃんと名付けました。しかし、体の弱かった凜ちゃんは、ずっとうずくまったまま、鳴き声が出ません。これは、だめかもしれないと思いながら、保温器で体を温めていると、突然一週間目に「ピー。」と鳴き出しました。娘が、大喜びをしたのは言うまでも有りません。成長した凜ちゃんは、我が家を飛びまわり、元気そうに見えましたが、動物病院で肝臓が悪い、長生きは出来ないと告げられました。それからしばらくの後、凜ちゃんは、体重が増加し始め、元気がなくなりました。なんとか助けたいと思う一心で、娘は、鳥の専門の獣医師さんがいないか、必死になって探しました。そして、有りがたいことに隣接の町におられたのを見つけます。それから、数年間、その病院での凜ちゃんの闘病生活が始まります。
娘を大好きな凜ちゃんは、娘がいないと寂しそうにし、仕事で遅くなると、怒って、そっぽを向くこともありました。私たち夫婦が昼食をしようとすると、凜ちゃんも一緒にすると、激しく「ピー、ピー。」と鳴きました。それではと、我々の食台の側に台を置き、その上に凜ちゃんの鳥籠を乗せました。凜ちゃんは首の周りを撫でて欲しいと、鳥籠の前に出て来ます。私たち夫婦2人が、指先で凜ちゃんの首の周りを撫でないと満足をしませんでした。
ある日、妻が「あれ、凜ちゃんは、私たちが、食事を始めるまで、待っている。」と、言いました。「本当だ。我々が箸をとると、同時に、凜ちゃんもご飯を食べる。すごいね。」と驚いた私は、言いました。
また、朝食は、出勤する前の娘と共にしていましたが、3人のうち誰かが食卓に着いていないと、「早く来て、ピー、ピー。」と鳴くことに気が付きました。数が理解できるのかとはっとし、この頃から、凜ちゃんは、だだのインコではないな、と思い始めました。
食事制限をしており、十分食べれない凜ちゃんですが、肝臓が十分に機能していないためか、それでも体重の増加が、始まりました。そしてとうとう、息も絶え絶えになった凜ちゃんを、娘が探し当てた病院に連れて行くことになりました。その獣医さんは、凜ちゃんを診療して注射をしました。すると、見る見るうちに元気を取り戻した、凜ちゃんは、桜満開の石手川を沿って帰宅する、車の中で、楽しそうに、ピーヨ、ピーヨと鳴き始めました。この、獣医さんは、凜ちゃんのレントゲン写真も撮って、ずっと病状経過の観察を続けました。さびしがりやの凜ちゃんは、我々の3人が留守にすると、本当に元気をなくしてしまいました。完全に家族の一員なった凜ちゃんは、後の数年間、このようなことを繰り返し、死の淵に行きながらも、驚異的な粘りで、生き抜いたのです。
しかし、腫瘍も発見され、回復すれば手術を検討することとなっていた、ある年の4月29日、凜ちゃんの異変に気づいた娘が、職場に連絡をし、休暇をとり、見守っている中で凜ちゃんは、息を引き取りました。本当に、苦しむことなく、安らかな最後だったと娘は、話してくれました。外出していた私は、帰宅して狼狽をみせました。でも、側に行き、凜ちゃんを見ると、顔に笑顔が浮かんでいました。
悲しみの中、我が家に頑張りと笑顔をもたらした、幸福の青い鳥、インコ凜ちゃんを、家族皆で、動物寺に供養をしました。
以上は、ほんの一部の凜ちゃんの思い出ですが、エピソードは、あまりにも多く書き尽くすことが出来ません。
「凜ちゃんは、鳥でなかったね。」と娘は言います。
すべてが順調に行った娘の結婚式は、本当に偶然ですが4月29日でした。
大晦日の今日、妻が、玄関前にあったと、大切そうに凜ちゃんと同じ、青い羽根を私に見せました。酉年も終わりを迎えます。今年は、青い鳥インコ凜ちゃんが、幸せをもたらしてくれた感謝の一年間でした。

我が家の幸福の青い鳥インコ凛ちゃん。
幸福の青い鳥インコ凜ちゃんのおかげで、娘の結婚は驚くほど順調に運びました。本当に偶然ですが、結婚式は凜ちゃんの命日4月29日となりました。

娘の結婚で、位牌とともに転居をしました。

 

 

 

 

 

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