元気を頂くツーリング

多くの方々にお会いして元気を頂く旅を続けて参りたいと思います。現在のコミュニテイーは交通網が発達したことから広範囲の地域に渡るのではないかと思います。コミュニテイーの拡大化を実践していきます。

今治西高校蛍雪会はじめ、多くの皆様方のご支援によって、拙いホームペーではありますがご覧頂いているのが、実感として感じられるようになりました。それにお答えする意味におきましても、私の行動の原点が何処にあるのかを述べさせて頂きます。
行動の原点まさしく コミュニテイーの広域化にあります。
担当課長として市町村合併の業務を推進することとなりました。
愛媛県市町村合併策定協議会の会長は、愛媛大学教授藤目節夫先生でした。先生は、市町村合併は、コミュニテイーが衰退すると懸念をされておられました。また先生は策定をするに当たり、市町村合併を推進している県の意向に左右されたり、忖度をされることは決してありませんでした。
策定協議会を残すところ、後1回のみとなり、しかも間近に迫っていましたが、急いで今回の協議会で結論を出す必要は無い、もう少し議論を深める必要があると自らの信念を決して曲げようとはされませんでした。現在、確かにコミュニテイーの崩壊が大きな問題となっていますので、先生の見解は間違いではなかったと思います。
しかし、私は、合併の推進は必要であると私も信念を持っていました。それは、現場主義からの観点からです。県本庁、県出先での権力中枢機関、一般機関での経験、市町村行政に携わったことから、市町村の実状、また、バイクツーリングをしていたことにより、地域の実態を知り得たからです。例えば、市町村行政ですが、基本的には通達行政です。国、県から本当に無数の通知が出てきます。受け取る側はそれを読まなければなりません。大きな松山市であれ、小さな町村であれ基礎自治体にはほぼ同数の量です。小さな町村は職員数が少ないので全てを読むことさえ困難です。結局、その矛盾をどこかが支えていたということです。
四国は、高速道路が繋がっていませんが、2車線の一般道が、
こんなところまでにと思えるところまで完成をしているのを、バイクツーリングで実感をしていました。このことから、価値観が多様化するなか、コミュニテイーは身近な地域で、無理に個性を殺し、醸成する必要は無く、もっと自由に拡大すべきと思っていました。これらは、勿論、問題点のほんの一部分でしかありませんでした。
それで、U係長(当時、今治西高校出身、事務的には彼が最初から、最後までやり遂げた)に、これから藤目先生にお会いすると告げ、一人、母校 愛媛大学に、藤目先生を研究室にお訪ねしました。まさしく本音をお聞き頂く時です。先生は、当然、会長として決定されたことが愛媛県の将来を左右すると思われていますから簡単に自らの信念を変えるはずもありません。私はコミュニテイーの広域化を述べさせて頂くなど、長い、長い議論の末、先生も心の葛藤はあったと思われますが、やっとのことで、コミュニテイーの醸成について重点的に触れること、また、合併案は住民の皆様が主体的に決定出来るよう、複数の案で行くことを条件に、了解を頂き、その考えを入れて原案を作成し、合併策定委員会で可決されました。藤目先生の信念が本物であることは次のようなことからも分かりました。それはその後もずっと講演などで、コミュニテイーの醸成の必要性を訴え続けられていましたし、久万高原町に住居を構えているとの新聞報道で、やはり、先生は会長として合併案を纏められた責任を背景に、思いを貫かれているのかな、と私なりに思いました。私もこのことは常に頭にあります。宇和島地方局での行動、コミュニテイーの広域化へ向けての実践、つまり、バイクツーリング日本一周の原点は、正に広域化を実証したいとの強い思い、ここにあります。加戸前知事さんが、アラスカでオペラ公演をすると新聞報道で拝見したとき、思わず、コミュニテイーの世界への拡大化だと一人微笑みました。なお、この話は今まで誰にも語っていません。
市町村合併は、単なる新しい枠組みでしか有りません。新しい革袋を生かすには、新しい知恵と工夫が必要となって来ます。ゆえに従来をはるかに超えるエネルギーと意識の変革が必要とされるのは必然であります。従来と同様のことをするのであれば、むしろ後退となります。これを乗り越えることによってのみ、合併をして本当に良かったとなるのではないかと思います。
市町村合併では、多くの首長さん、議員さんが身分を失われ、その上に成り立ちました。このことは私の頭の中に今も強く刻み込まれ消えることは有りません。しかし、市町村合併は必要であったとの信念は今でも決して変わることはありません。)

と言うことで第1回目はこの度宇和島市議会議長となられた小清水議長さんを議長室にお訪ねしました。 小清水議長さんとのお付き合いは、私が宇和島に赴任したときから始まりました。当時、市議会は合併をされた直後で、初代議長に浅田議長さんが、就任されていました。その時の副議長が、小清水さんでした。市議会の懇親会に浅田議長さんから良くお招き頂きました。お陰様で、市議会の皆様方と親しくお付き合いを頂くことが出来ました。結果的には、このことが宇和島じゃこ天カーニバルの成功に繋がりました。これについては、宇和島じゃこ天カーニバルが始まるまでで述べて参りたいと思います。そして、私が宇和島を去るに際しては、送別会をお開き頂き、党派を超えての参加には本当に胸が熱くなりました。 行動力のある小清水さんとはなぜか気が合い南予の巨大なブンタンなど、様々な柑橘をお教え頂いたり、吉田の元気な方々を紹介され、農林水産に経験の無かった私には、業務を推進する上で大きな力となりました。また、私が松山観光港に勤務しているとき、当時小清水さんは愛媛県若い農業後継者の会長をされており、私を講師にお招き頂き、講演をさせて頂きました。清家会長を囲む会では中核的な存在であり、欠かすことは出来ません。青年団の団長なども経験されておられますから、リーダーシップ、ボランテイア精神も旺盛です。 出身は吉田町喜佐方です。喜佐方は、みかんを栽培される篤農家が多いことで有名です。かどやの清家会長も喜佐方の出身です。 それと、海運王山下亀三郎さんの生まれたところでもあります。秋山大将が病気療養されたとき、滞在された別荘があるところです。山下さんが寄贈された、当時の橋があります。喜佐方丸が吉田湾に入港したとき清家会長は、お父様に連れられてお会いにいったと、話されておりました。 小清水さんとはもう8年余りのお付き合いを頂いておりますが、本当に裏表のない、見たままの行動力の固まりのようなかたです。 まだ若い53歳です。南予の地域振興のため、今後ますますご活躍を頂きたいと思います。 「今年の柑橘は、議長職が多忙なため十分な手入れが行きとどかなかった。」と我が家のものだとすすめて頂きながら、屈託のない笑顔で、力強く抱負を語られました

山下亀三郎さん生家

山下橋

小清水さんちのミカンジュース

 


マルチミカン畑です。甘みと酸味の具合が抜群です。この時期様々なミカンを食べますが、その度に、このマルチミカンの味わいの素晴らしさを実感します。
まさに、芸術的とも言える美味しさです。

喜佐方の風景

松山観光港で

第2回
今回は清家会長を囲む会についてです。 少し遅くなりましたがH26年3月1日(土)14:00から新年会を開催しました。男性2人が四万十のイベントなどに出席するため、欠席しました。しかし、女性の方々が、全員出席を頂きました。今回も予想に違わず、大いに盛り上がり延々4時間にわたり懇談をしました。 会は、まず、清家会長のあいさつに始まりました。清家会長は夢を語られ、九島の架橋が完成すれば頂上から夕日を眺めるのが望みであるとのことでした。 これに答えさせて頂き、その時は、何か会として、行動しようとの意見で一致しました。 その後、4月から宇和島市の消防団長に就任される、山下丸穂牛鬼保存会名誉会長に、乾杯の音頭をお願い致しました。皆さん元気もの、大きな声で、語り合い、お互いに元気を与え合いました。 やはり、皆さんなつかしいのか宇和島じゃこ天カーニバルの話題で、一時花が咲きました。少々のことで傷がつくメンバーでないので、本当にリラックスして話すことが出来ます。盛り上がりはいつまでも続きましたが、さすがに、もう閉会しようとなり、閉めは、小清水市議会議長にお願いをいたしました。次回は松山で開催、また、東京西麻布に開店したかどや霞邸での開催をも視野に入れることで、意見がまとまりました。私も自治大学校で半年間過ごしたところ、えん家におられた時お世話になった友近店長さんにもお会いもしたいので、本当に楽しみです。それにしても清家会長、最後まで、姿勢を崩すことなくお付き合い頂き、我々皆を、店頭まで見送り頂きました。お元気なのには、本当に驚かされます。今回もまた、皆さんから元気を頂きました。従業員の皆様、女性陣のご主人の皆様本当にお世話になりました。

南予アルプスから九島を望む

宇和島城から九島を望む

第3回 今回は今治西高3人会についてです。

平成26年3月8日(土)松山で開催しました。 遅い新年会ですが、今年の冬は格別寒く私の準備に取りかかるのが遅くなったからです。 今回はベトナム料理を楽しみました。お店はハノイカフェさんです。酒も料理も味わいが普段親しんだものと異なりましたが、大変美味だったので退屈しなく楽しい懇談となりました。話題は進出したセブンイレブンとか高校同級生の亡くなった方々とかになりました。冨田君が「食べれるかどうか心配していたが美味しかった。またここでしてもいいな。」とのことでした。事前に了解は得ていたのですが、このことを帰って娘に話すと「羽藤さんや冨田さんは今までこんな風にお父さんの言うことをなんでも黙って聞いてくれていたのよ。」と諭されました。ありがたい友人たちです。 2次回はスナックラスト20セントに行きました。私が新採の赴任地四国中央市から本庁に帰った26歳の時ですが、県庁同期のMさんに紹介されました。もうかれこれ40年の付き合いになります。ママさんは性格がおっとりされていますから話していると本当に心が癒されます。40歳以降は2次回のお付き合いはお断りしていましたので近年、行った回数はそう多くありません。 それでも几帳面に私のボトルは置いて頂いていました誠実そのものです。このスナックこそが押忍の友人I君と愛媛大学少林寺拳法部の同期が最後に飲んで放歌高吟したところです。ママさんは私とほぼ同年齢ですが「年も年なので店をいつまで続けられるか心配だ。」と話されたので清家会長のことをお話し「85歳まで頑張っておられる。まだまだママさんは若い。」と激励をしました。 3人会のカラオケは他人の評価は意識しないことがモットーですので自己陶酔し夢中で歌っているとアッという間にJRの時間となりました。新年会にふさわしくお互いに元気を与え合う内容の濃いものとなり満足のうち閉めとしました。次回は今治市での開催となりますが楽しみです。

ハノイカフェ ベトナム料理

ラスト20セント  祝40周年 おめでとうございます。   3人会これからも利用させて頂きます    

第4回
平成26年3月17日(月) 今回は松山市錦町33-3で開催されている松木崇展についてです。 松木さんは私と同郷の西条市河原津の出身です。5年前に病を得てそれを克服し画家としての制作活動に命をかけられています。キャメルKで画廊を経営されている清水さんに紹介を頂き知ることとなりました。同郷であり病に負けづ生き抜こうとの強い姿にお会いする度に元気付けられます。今回の個展を拝見させて頂き驚きました。どの作品も力強さがあり松木さんの気力の一層の充実が感じられ元気を頂きました。来年の個展も楽しみにしております。なお、今回の個展は3月19日(木)まで開かれています。 キャメルKの清水さんとは松山観光港勤務の時に知ることとなりました。芸術活動をされている多くの方々をご存じの清水さんに紹介を頂き観光港でなにかイベントが出来ないかと思っていたからです。今年でもう15年のの歴史を数えるそうです。とにかく顔が広い、いつお伺いしてもだれかがイベントをされております。お会いする度に私もまだまだチャレンジを続けなくてはとの決意が生まれて来ます。今回はお2人から元気を頂きました。

清水さんの言葉
私が35歳の時フランスを描く作家さんと出会いその色の美しさ空気感に魅了されました。その後ヨーロッパを何度となく旅し、皆さんに臨場感を伝えたいとギャラリーをオープンしました。私の原点ともいうべきヨーロッパの風景。2014年2月14日ギャラリーKも15周年を迎え、私のヨーロッパをもう一度見たくてヨーロッパを描く作家さんたちのご協力を得て展覧会を開催することになりました。ぜひ ご来場いただきあなたのヨーロッパを見つけてください。


開店15周年記念企画展
ヨーロッパを描く作家たち展
順次開催
阿部誠一、石丸八代美、かみおひとみ、白戸正明、隅川直美 高野美奈子 谷晶子、玉井恵子、藤澤千丈、松本崇、森本泰二郎、柳田補、矢野徹志 吉岡恵子、吉岡健二(50音順)   ギャラリーキャメルK TEL 089-913-2002 http:camelk.daa.jp

ストリート ギャラリーK  大街道入り口のところで継続して展示されています。

平成26年9月28日(日) キャメルK 大街道

 平成27年1月21日(水)

平成26年12月9日 ギャラリーキャメルK 16周年企画 お知らせ 青春の田中坦三展 2015年 1月23日(金)から2月1日(日) am11.00~pm6.00 最終日 pm5.00まで 田中坦三没して3年、激動の昭和、戦中、戦後の磁場とともに歩んだ生涯でした。本展は青春時代の田中担三の作品を中心に約50展 展示いたします。        愛南町出身   平成27年1月27日(火) キャメルKの清水さんに案内を頂いた、田中坦三展に行ってきました。 まず、1Fの入り口が、見事に展示、配置されており、期待感がいやがうえにも高まってきました。まず、清水さんに挨拶をし、展示場に入りました。色合いが明るく、私には愛南町の高茂岬や展望が素晴らしい山々が浮かんできました。丁度NHKが取材に来ていましたので傍で、田中坦三さんに関する説明を聞かせて頂きました。田中坦三さんの作品を拝見し、なぜか、心惹かれるものがありました。多分それは、田中さんが何ものにも束縛を受けづ、自由に生きたことからかな、と自分なりに思いました。清水さんがパソコンを起動され、田中さんを紹介した番組も見せて頂き、芸術の森で楽しそうに、自由に創作活動をされている田中さんを見て、そのように考えた次第です。その上、田中さんは71歳でバイクに乗っておられました。私も、バイクツーリングをするので、そのこともまた共感を高めたのではないかと思います。清水さんにはお茶と坦三作品の器でお菓子をごちそうになりましたが、この上ない贅沢な気分で、心が豊かになり、結局、1時間ばかりお邪魔をしてしまいました。田中坦三作品は、現在、愛媛県宇和島市津島町、やすらぎの里が所蔵しているとのことでした。私もてんやわんや王国の名誉会員ですので、不思議なご縁を感じました。田中坦三さんの自由な生き方、清水さんの温かいおもてなしに元気を頂きました。なお、青春の田中坦三展は、2月1日(日)まで am 11.00~pm.6.00 最終日はpm.5.00までとなっています。


平成27年2月20日(金)
松木崇さんが今治市河野美術館で作品を発表されます。

第76回セコイア11人展

 

 

第5回 平成26年4月21日(月)


今回は4月1日から大洲市長浜町商工会に事務局長として赴任されました菊地さんをお訪ねしました。菊地さんとは県庁の若いころからのお付き合いになりますので相当の期間となります。菊地さんは裏表のない性格で、変な画策をしたりしません常に直球勝負です。前向きですからより良い方向に進もうと努力をされます。退職時に60周年を迎えた(丁度菊地さんが生まれた年)県立新居浜病院で表彰制度を創られました。ともしび俳句会など3団体、2個人を表彰することで病院の地域の応援団として見守り、がんばって頂きたいとの強い思いを実現されたものです。 また、前任地の周桑商工会では25年目と古くなり、懸案であった街路灯の付け替え設置を組織を立ち上げ見事完成させました。退職前や定年後の職場で新規の事業に取り組むには本当に勇気とエネルギーが必要とされます。新しいことに取り組むことは口で言うほど簡単ではありません。 菊地さんが成し遂げた事業は年を経るごとに評価されるものと思います。 お訪ねした長浜町商工会では、職員の皆さんを紹介頂き一緒に写真を撮らせて頂きました。本当に明るい雰囲気で楽しくなりました。昼食は1Fのフェリー食堂でチャンポンを食べましたがこれが実に美味でした。現在、商工会では、ネコの楽園「青島」と長浜歴史探訪に力を入れており横断ポスターを作成されていました。青島には15人の住民の方々と100匹のネコが共存しているとのお話をされました。青島行きのフェリー乗り場に行くと丁度可愛いネコが親しげに近寄って来ました。幸先の良いスタートです。菊地事務局長さんの顔が笑顔で一層明るくなり、私も元気を頂きました。

菊地 長浜町商工会事務局長

 

長浜町商工会の皆さんと

長浜町商工会 大洲市長浜町を散策

第6回 平成26年5月17日(土) 今治市で3人会を持ちました。JR今治駅を降り、待ち合わせ時間まで少し余裕がありましたので散策をしました。 まず丹下健三先生が設計をされた今治市公会堂を訪れました。そして商店街に行きましたが、高校時代よく行った書店「マスヤ」が健在でした。そこうしている内に時間となりましたので待ち合わせ場所に行きました。そこで羽藤君から四国ガス本社の建物が移転するとの話を聞きました。 今回の懇談場所は、今治西高同級生の檜垣貴司君の実家である今治市室屋町のまど居です。メインはうどんすきですが麵が太いです。次から次へと食べきれないほどの料理が出てきました。話題は同級生の繁信君(元今治市長)の話となり、正義感にあふれた方だったなとの結論になりました。冨田君が九州に行く事にしているとの事でしたので私も鹿児島にツーリングの予定であると話したので、しばらくは九州が話題となりました。まど居のスタンドには若い方々で溢れており、瀬戸の魚介も美味いです。本当にもうこれ以上とてもではないが食べきれないとの状況に3人ともなり、大満足のうちにまど居を後にしました。 そして、恒例となっているスナック「銀」に向いました。スナック銀は今治市松本町にあります。もう20年余りを超えるそうですが、ママさんは笑顔が素敵です。他人の評価を気にしないカラオケが始まりました。冨田君、羽藤君が今まで披露していない歌が次々とつづきました。「すごいなあ。」と感心して聞いていましたが余りにもつづくので「どうしたん。」と尋ねました。すると富田君「○○ちゃん(私の娘)が参加すると聞いていたのでそれに合わせて練習したのだ。」とのこと、羽藤君も松山大学の吟詠部キャップテンですから硬派の演歌がとても上手いのに全然出てこないからおかしいなと思っていました。二人の思いやりに胸がじんとなりました。スナック「銀」はママさんの笑顔を見るだけでも行く価値があると思います。今回もJRの時間ぎりぎりまで楽しみ皆さんから元気を頂きました。ちなみに今回で8回目を迎えましたが第1回目は今治市で田村幸三さんの姪御さんがやられている「田むら」第2回目は松山の「えん家」で行いました。次回は松山です私の娘も参加をさせていただくこととなってます。

今治駅

今治市公会堂

国ガス本社

今治商店街

まど居



スナック 銀

7回 平成26年5月21日(水) 愛媛大学第2体育館に戸田正和愛媛大学少林寺拳法部監督をお訪ねしました。戸田監督は少林寺拳法歴47年、愛媛大学監督として23年目を迎えます。少林寺拳法を47年間取り組まれているとはどういうことかと言うことに大変興味を持ちました。というのは私自身は組織に縛られることになじめず、また人から指導されることが不得意だからです。だから自己流になりがちでなんでも会得するのに時間がかかります。その対極にあるのが戸田監督と思えたからです。しかし、戸田監督の指導のもと、少林寺拳法部の練習風景を見せて頂き正直ショックを受けました。まず、待気の構えです。すっと構えて頂きましたが美しいです。隙がありません。47年間指導を受けながら精進するとはこういう事かと悟らされました。広島宇品港の喫茶アンカーのマスターは合気道の達人ですが、構えを見れば実力が分かると言われていましたがその通りだと納得出来ました。守主将に戸田監督像をお聞きしましたが「優しいです。新しい少林寺拳法の練習を目指されています。」とのこと、また女性部員の方は「優しいですが、練習は厳しいです。」とお話頂きました。お二人の話の通りでした。 まず、武道の練習に想像されるバンカラの大声の騒々しさがありません。静かです。しかし空気はピンと張り詰め緊張感に溢れています。基礎トレーニングを念入りにされていました。それを終えると皆さん見違えるように動きが軽快になりました。練習に無駄がありません。指導は短く理詰めです。手抜きの時間もなく絶えず何かをしています。これはきついなと言うことが分かります。凜として明るく和気藹々として楽しそうでした。思い当たりました。戸田監督の人柄そのものです。戸田監督にお聞きしました。「47年間続けることが出来たのは。」。 「好きの一言です。」と静かに答えられました。 私も今回の訪問によってあらためて自らの生き方を徹底しようとの意を強くし元気を頂き、爽やかな気持ちで体育館を後にすることが出来ました。戸田監督、少林寺拳法部の皆さんありがとうございました

愛媛大学松林寺拳法部練習風景は愛媛大学義和門会に掲載しています。

第8回 平成26年5月29日(木) 広島市宇品港の2階に喫茶アンカーの店長とマスターをお訪ねしました。アンカーとのお付き合いは、私が松山観光港に勤務していたころ愛媛県の観光ポスターの掲示場所を求め探していた時偶然掲示場を発見しそれからのお付き合いとなります。マスターは大阪で従業員500人規模の会社の社長(現在オーナー)でしたがそれを退き10年前に店長とともに喫茶アンカーを始めました。周囲からは絶対すぐ止めるようになると反対されたそうです。ぶれない心、居合い、剣道の達人です。アンカーは他のお客さんの迷惑になられる方お断り、パソコン使用お断り、音楽はさざ波の音のみ、地位、肩書き関係なしと言うこだわりを貫く正にオンリーワンのお店と言えます。ただ、コヒーはマスターが丁寧にいれてくれ美味いです。ポスター掲示場は新しいコンセプトのもと続けられておられました。もちろん愛媛県のものもあります。現在、アンカーは店長さんのアイデイアで四つ葉のクローバー、手作りのほうづきがプレゼントされています。マスターの夢は釣り三昧の生活をしたいとのことです。道具は完備されておられるとの事でした。こだわりとセンスは抜群のものがありますから、相当の釣り道具だと推測されます。丁度伊能忠敬の足跡を巡る会に関し打ち合わせのため有本代表もいましたので話は尽きず延々と長時間続きました。遠慮なく何でも言えるので本当にリフレッシュ出来ます。皆様からまた元気を頂きました。

喫茶アンカー

ポスター掲示 四つ葉のクローバー

手作りほうづき

有本代表   店長    四之宮

喫茶アンカーからお便りを頂きました。 喫茶アンカー新聞記事(毎日新聞)

第9回 平成26年7月19日(土) 3人会を松山市で開催をしました。今回は、冨田君、羽藤君の了解を得て私の娘も参加をさせて頂きました。娘は、我が儘な私と高校時代から友人付き合いをさせて頂いている、お二人がどういう方か興味を持ったようです。それで懇談の場ではストレートに理由をお聞きしたり高校時代の思い出をお尋ねしたりしていましたが、お二人が娘に合わせお答え頂いたので大いに盛り上がりを見せました。娘も大変楽しかったと後で感想を述べました。冨田君、羽藤君本当にありがとう。 まず、最初に瀬戸内海料理を堪能した後、本日の主な目的ラスト20セントに40周年のお祝いを述べるため向かいました。ラスト20セントではママさんを交え祝40周年の乾杯をしました。40年前はママさんも20代、私も20代でした。前のボトルボックッスを眺めているとなにか40年の月日を思いなつかしいようなまた友人たちや娘と飲めることが嬉しいような不思議な感覚に捕らわれました。ママさんは40年間で最も楽しかったことは多くの方々と知り合えたことだとの事でした。40年間の人脈素晴らしいでしょうね。また最も苦しかったこともお答え頂きましたがここには書きません。ふと、私のボトルの名札を見ると県庁同期の松岡さんの名前がありました。私をラスト20セントに最初に連れて来て頂いた方です。若い頃松岡さんと良く飲んだ事を思い出しました。 ママさんを交え写真を撮影した後恒例のカラオケになりました。ママさんの話によると四国で最初にカラオケをラスト20セントが導入したとの事でした。夢中で歌っている内いつものようにあっという間にJRの時間となりました。それで4人でラスト20セントが永久に繁栄するようにと念じながら満足の内お別れをしました。次回3人会は今治開催です。どういうところで開催するのか楽しみです。3人会は常に新しいところを使わせて頂きます。

  祝 40周年 ラスト20セント

          ママさんを交え乾杯                                                         ボトル名札

           

         3人会松山市内

第10回 平成26年8月6日(水) 今回は、宇和島自動車本社に広瀬宇和島商工会議所会頭(宇和島自動車社長)さんをお訪ねしました。広瀬さんとのお付き合いは県庁市町村課からのお付き合いになります。生き方は決して器用とは言えませんが裏表のない、変なことを画策しない広瀬さんは信頼できお付き合い頂くこととなりました。市町村課では広瀬さんが調整係(庶務、予算)、私が選挙係でした。当時ダブル選挙や選挙争訟もあり、多忙でしたが、なんと言っても選挙が始まると市町村などに対する説明会がめじろ押しで当時は70市町村ありましたから会場づくりが大変です。係りは4人しかいませんので他の係に援助を求めました。他の係も暇ではありませんから最初の内は気持ちよく応じて頂けますが、段々と返事が重くなります。広瀬さんにはそのような時良く慰め頂いたり、予算の円滑な執行に尽力を頂いたりしていました。 また、思い出は松山球場でも良くお会いしました。広瀬さんは宇和島東高出身、私は今治西高なので良く宇和島東高と決勝戦で会いました。当時は上甲監督率いる東高の全盛時代で脅威の粘りを見せていました。9回最終回まで西高が勝っていても逆転を許すという展開が続き、がっかりして球場を出ると広瀬さんに会い「東高は強いですね。」と言うと「まぐれですよ。」という会話を重ねたことも今は楽しい思い出です。 そして私が宇和島に赴任するようになった時、広瀬さんも宇和島自動車社長として故郷に錦を飾ることとなりました。 私は宇和島は初めての赴任地でしたので広瀬さんに地域のことを良くお教え頂きました。ガイやカーニバルで「私が出ます。」とお伺いした宇和島自動車の応接室で話しているとお茶を出して頂いていた秘書の杉浦さんが聞かれ「社長も出たらいかがですか。」と上申をされました。当時ガイヤの踊に参加していたのは地方局は20人、宇和島市役所でも30人程度でそれもうつむき加減に自信なさそうに踊っていました。その意味で広瀬社長と私が先頭に立ってガイヤを踊ったのは手前味噌になりますが画期的であったと思います。そして、第1回じゃこ天カーニバルでも参加をお願いに伺いましたが気持ちよく「参加します。」と快諾され経済人として第1番目の参加を表明頂きました。 話は変わりますが私の妻も松山に行く時は宇和島自動車をいつも利用させて頂きました。宇和島に帰る時は手荷物で一杯になりますがバスから降りるとき必ず「大丈夫ですか。」と運転手さんが親切に声をかけられ荷物を運んで頂いたと松山市内で宇和島自動車バスが走るのを見る度に懐かしそうに話します。 また、宇和島商工会議所も写真を撮らせて頂きました。懐かしいです。ここの会場で宇和島の経済人の多くの方々を知ることが出来ました。 アポイントも取らずお伺いしたにも関わらず広瀬さんとは長時間色々と思い出話に花を咲かせました。その中で今後の抱負はとお聞きしますと「地域の6次産業化、伊達家400年事業の成功、宇和島商工会議所100年事業の推進」と淀みなく力強く答えられました。 恒例のご一緒頂く写真撮影は秘書の杉浦さんにお願いをしました。 宇和島市が分かるようにと撮影頂きました。また、広瀬さんの手帳を見せて頂くとスケジュールがやはりびっしりと詰まっていました。どうかお体に配意され南予地域の活性化のために今後とも一層のご尽力を頂きたいと思います。そしておいとまをすることとなりましたがご丁寧にエレベーターの乗り口までお見送り頂き「元気な姿を見て安心をしました。」と話して頂きました。病を克服した私には最高の言葉となり元気をいただくこととなりました。  

広瀬宇和島商工会議所会頭(宇和島自動車社長

宇和島商工会議所

  宇和島自動車本社

  宇和島じゃこ天カーニバル

松山市内走行の宇和島バス自動車 宇和島市に向かいます。

広瀬宇和島商工会議所会頭(宇和島自動車社長)   四之宮

第1回宇和島じゃこ天カーニバルが開催されるまで  宇和島じゃこ天カーニバルに広瀬会頭さんを書かせて頂いています。

宇和島自動車は、平成31年に100周年を迎えました.

第11回 平成26年9月27日(土)

今回は清家会長を囲む会になります。 会場は松山市朝生田町のかどや半兵衛で行いました。女性の方2名がやむを得ない理由により欠席されましたが、またまた予想通り大いに盛り上がりました。まず清家会長から水を汲む人の例えを出され会員の皆様に感謝の念を述べられました。また、宇和島市議会議長をこの度退任される小清水議長さんのご労苦にお礼の言葉を述べられました。 続いて山下丸穂牛鬼保存会名誉会長からこの会でオンリーワンのものを創ろうと呼びかけがあり皆さんの賛同を得ました。また小清水議長さんにお礼の言葉も述べられました。その後南予地方局井野総務企画課長さんの乾杯の音頭により懇談会が始まりました。私の全国バイクツーリングも話題に載せて頂きCBR250Rで名神高速道路を走破したとお話させて頂いたところ皆さんに大変驚いて頂きました。井野課長さんが来年退職されると話すとみなさん本当にびっくりしました。見た目が若いからとてもそのように見えません。なにを置いても宇和島じゃ天カーニバルを成功に導いて頂いた立役者です。第2の人生どのように過ごされるのか大変興味が持たれます。宇和島市役所牛鬼保存会会長の楠葉拓史さんも相変わらず自らの信じる道を迷いなく進まれています。メンバーの中では年齢が若いのでつい無理を頼み引き受けてもらってご迷惑をかけています。兵頭さん、山内さんとも話しました。局長時代私は局長室をオープンにしどなたとでも話すようにしていましたが、返ってそれが秘書として大変だったのではないかと話され、深く考えさせられました。私は清家会長の面前でお相手させて頂きましたが終始大変嬉しそうにされ、その御姿を見るとこの会を創って本当に良かったなと心から思いました。また、話題は霞亭の話にも及びました。そしてそれぞれが思い通りに懇談しやはり時間は3時間を超えました。それで締めは南予地方局片岡地域政策課長さんにお願いしました。彼もまた宇和島じゃこ天カーニバルを身を挺して成功に導いた一人です。そして次回の開催は2月と提案したところ山下名誉会長さんから1月開催が良いとの意見を頂き決定をしました。山下さんはいつも積極的なご意見を発言されます。これが囲む会の活性化につながっています。参加者全員の写真は清家店長さんにも加わって頂き撮影をしました。皆さん笑顔で一杯です。この会が楽しかったことが一目瞭然です。また、皆様から元気を頂きました。

  12回 平成26年9月28日(日) 松山市堀の内公園で開催されている愛媛の祭りに行きました。それは昨日の清家会長を囲む会で山下宇和島丸穂牛鬼保存会名誉会長が出演されるとお聞きしたからです。山下会長さんとお会いして挨拶。それにしてもタフですね。高知県のどろめ大会で並み居る酒豪を退け栄冠を獲得をしたはずです。宇和島牛鬼保存会の方々の素顔を中心に撮影をさせて頂きました。宇和島女牛鬼 鬼姫も結成されたようです。あでやかです。ステージでは宇和島市の伊達家400年祭のPRをされていました。宇和島じゃこ天ブースも撮影。新居浜市の太鼓台も参加していました。新採で伊予三島出張所に勤務の時、毎年新居浜祭りにご案内を頂きましたが、酒を飲むばかりで、肝心の太鼓台を見なかったことと、県本庁勤務の時、石川市長さんはじめ新居浜市の出身の方々は全員が、休暇を取って、故郷の祭りを楽しんでいたのを思い出します。北条のだんじりは、妻の父の故郷が、北条のため何度かいったことがあります。神社の石段からだんじりを勢いよく放り落とすのには、ド肝を抜かれました。四国中央市のブースがありましたので近寄ると、青木かまぼこさんの字が目に入ったので思わず「青木かまぼこさんだ。」と言うと、笑顔で店主が答えられました。実は伊予三島時代の今は亡き先輩から、訪れる度に、青木かまぼこさんのえびちくわをお土産として頂きました。これは、絶品です。八幡浜ちゃんぽんもありました。お訪ねしたことがありますが、ちゃんぽん係長さんお元気ですかね。そして私が賛助会員として参加させて頂いている、松山離島振興協会のブースも発見。ご挨拶をし、健闘をお祈りさせて頂きました。それにしても皆さん、本当に楽しそうにパフォーマンスをされていました。本当に、この10年の間に、イベントは格段の進歩をしているように思います。フィナーレの宇和島牛鬼、新居浜太鼓台、北条市のだんじりのコラボレーションは世界初だそうです。こういうオンリーワンの発想は大変好きです。昨日に続きまたまた元気を頂きました。

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