今治西高3人会
冨田君 日本酒、開眼
よしなしことを語り合う
平成31年3月30日(土)
今日は、今治西高3人会だ。雨が降っていたが上がっている。
伊予鉄市内電車でJR松山駅に向かう。車窓から見る堀の内公園の桜が美しい。
JR松山駅に少し早く着いた。様々な旅行プランのポスターが掲示されていた。
思うに、早く四国新幹線が通り、四国の基幹交通を維持整備して欲しい。そもそも、JR四国に独立採算を求めるには、無理がある。
JR北海道やJR四国には、本州のJRが応分の負担をし、やはり、国土の均衡有る発展を図るべきだと思う、今日このごろである。
JR内は、週末と年度末のためか、混でいた。
17時5分JR今治駅着。雨が降りそうな模様となってきた。17時25分に待ち合わせ場所の今治市役所前に向かう。もう既に、羽藤君と冨田君は待っていた。久しぶりの挨拶を交わす。とうとう雨が降ってきた。小雨のなか、今日の懇談場所 亜紀に向かう。亜紀に到着、入ると、元気な「いらっしゃい。」の女将の元気な声。店内は活気に溢れていた。部屋に案内をされる。ビールと焼酎で乾杯。通しは小いかと季節のものつくしだ。相変わらず家庭料理を思わせるさっぱりとした良い味だ。「痛風にかかって、まだ足が痛い。尿酸値は高くないのに、不思議だ。きっと狩猟でとったイノシシ肉や魚の卵を食べ過ぎたせいだと思う。だから今日は、酒は焼酎にする。」と羽藤君が言った。
マグロ イカ シマアジなどの刺身の盛り合わせが出て来た。魚に甘みがあって美味い。「先日、今治西高の同窓生のメンバーである青野君、玉井君、岡本君、村上君、山本君、と一緒に懇親会をした。楽しかったが、それぞれが体の不調を訴えていた。」と羽藤君が言った。「足腰の痛みが、完治をしない。バイクツーリングを続けるが、250ccのバイクは諦め、125ccのPCXを主体にしようと思う。それで、PCXに前後のドライブレコーダ-を取り付けた。いずれにしても四之宮の発祥の地神奈川県平塚市には行きたい。その時は、直ちゃんの妹さんがいる神奈川県庁は、是非訪れたい。」と四之宮は述べた。メバルの煮付けが出された。掛け値無しに美味い。
「冨田にもらった、米焼酎 白岳 湯割りにすると、一段と美味しくなった。」と私は、言った。「次の3人会は、宇和島でかどやの清家会長とカラオケを歌おう。」と、冨田君は言った。
「最近の愛媛大学は、本当に学生が元気がある。大学は名前で無いね。如何に良い先生を揃えているかだ。」と四之宮は言った。「弊社の秘書の女性も愛媛大学卒だ。素晴らしいよ。」と、冨田君が言った。
「そう言えば、冨田の明治大学のゼミの教授は民族学の権威だったね。」と四之宮は言った。「教授の紹介で講談社に入社することになっていたが、なかなか話が無いので、家族に言われ、友人の貿易会社に入社をした。教授に報告に行くとなんで私の了解も無く、かってに行った。講談社に顔が立たない、と大変な剣幕でしかられた。」と冨田君は、思い出を語った。「四之宮、この福小町飲みやすくて美味い、もう一杯。」と冨田君は言った。
「あれ、冨田 私の酒の杯数を上回った。御代代わりの記念すべき年になったね。」と四之宮は言った。
冨田君が、学生の時、松山に来て、飲めない酒を飲み、救急車で運ばれた思い出を語りあった。料理が次々と出されたが完食、豆ご飯でシメとなった。
平山画伯の絵をしばらく眺め、カウンターに出た。そこで、羽藤君が知っている方と遭遇し、紹介を頂いた。女将が「ネットに出ているよ、と言われた。」話された。とにかく店内はめっぽう活気に溢れていた。これも、ひとえに女将の人柄がなせるワザであろう。
3人は今日のお礼を述べ、気持ち良く店を後にした。
外は、雨が降っていた。スナック咲来楽に向かう。店内に入ると、いつものように明るい笑顔のママさんに迎えられた。羽藤君は男の心意気、冨田君は故郷を思う心と、女心の歌、四之宮は元気になる歌をそれぞれ、ママさんとデュエットをしながら楽しんだ。
時間を過ぎるのは、いつもだが早い。JRの時間が迫って来たので、ママさんの心のこもった見送りを受け、3人は、タクシーに乗り込んだ。

































ここは松山二番町の店
しゃれた男の・・・・
今回の今治西高3人会、
自称しゃれ男3人組は
・松山市のふぐ料理店
・スナックを楽しみました。
令和元年5月11日(土)
快晴である。ずっと、今治西高3人会は、天候がすぐれない時が続いていた。心も軽く待ち合わせ場所の、伊予鉄市内電車勝山停留所に向かう。今日は、嬉しいことに足、腰の痛みも和らいでいる。
電車が、2車両通過した後、羽藤君と、冨田君が電車を降りて、やって来た。
「変わりないですか。」と互いに挨拶を交わす。
「今日は、まずふぐ料理玄品で懇談会を持つ、ちょっと距離は有るが三番町まで歩いて下さい。」と四之宮は言った。
玄品到着。部屋は、2fとなっていた。席に着き、まずビールで乾杯。付き出しは、ふぐの湯引きだ。食味は、こりっとした食感で美味しい。
「酒は、なににする。」と四之宮は聞いた。
「焼酎にする、まだ、中風が完治していない。」と羽藤君が言った。「え、まだ直っていないの、それじゃー飲んだらだめじゃないの。」と四之宮言った。
「晩酌に、焼酎を飲んでいる。酒の無い人生はとてもでは無いが考えられない。」と羽藤君は、答えた。
「私は、家では絶対飲まないし、バイクツーリング中も飲まない。ともかく、健康に留意して欲しい」と四之宮は、言った。
「冨田はなににする、この間、日本酒に目覚めたから、酒にするか。」と四之宮は聞いた。「あの後、酒のため酔いがひどく困った。ビールにする。」と冨田君は答えた。
私は、焼酎の湯割りを頼んだ。本当に3人とも酒量が落ちたのを実感する、寂しいがこれが現実だ。
「5月末には、妻と東北を旅行する。JRでだ。」と羽藤君は言った。
羽藤君は本当に、奥様と良く旅行をする。うらやましい限りだ。
「九州へ行っていた。」と冨田君は言った。「九州は楽しいね、それぞれ県民性が異なるが、明るいからね。」と四之宮は、答えた。
てっさが出て来た。歯ざわりと淡泊な甘みが、酒に良く合う。
「今治で、陸上でふぐを養殖しているところがある。」と羽藤君が言った。
「愛南町でも14年ほど前に、ふぐの陸上での養殖に取り組んだ事業者がいた。」と四之宮は答えた。
「ふぐは、毒を含んだ海藻やプランクトンを食べ内臓に毒素を持つようになるらしいね。」と冨田君が言った。
てっちり鍋が出て来た。
黙々と食することに夢中となり、会話が途絶え勝ちになる。
「本当は、宇和島で清家会長とカラオケを歌う予定であったが、会長が風邪を引いて以来、体調がすぐれないので延期をした。早く本調子になれば良いが。」と2人に説明をした。「体調が良くなれば、また計画をしよう。」と2人は同意した。
雑炊が出され、デザートでシメと成った。
羽藤君と冨田君が同時に「美味かった。」と心からの感想を述べた。
そして、スナックラスト20セントに向かった。
扉を開けると、「ようこそ、いらっしゃい。」と溌剌としたママさんの声。
スタンドに腰を掛けるやいなや、早速冨田君が選曲を始めた。
「広島で、伊能忠敬の足跡を楽しく巡る会の有本代表が、夜明けのブルースを歌ってくれた。良い歌だ。二番町の歌ですね。」と四之宮は言った。
「レーモンド松屋の作曲、有本さんは宇和島市津島の喫茶磯で、レーモンドがしらうお祭りのステージで歌っているポスターを見て、覚えたと言っている、宇和島市の出身ですか。」と続けて四之宮は言った。
「いや、西条市の出身です。」とママさんは、答えた。
「え、私と同郷なのか、感激だ。安芸灘の風も素晴らしい、曲だ。」と興奮した四之宮は言った。
その時、用意した花を冨田君は、ママさんにプレゼントをした。ママさんの顔が一瞬ほころんだ。
と同時に、
「ここは、松山二番町の店、しゃれた男の・・・・・・・」と始め、
「きっと来る、きっと来る、安芸灘の光る風に乗って・・・・・」
と2曲を歌った。完全にはマスターしていないが、歌は心だ。歌い終わると清々しい気持ちになった。
ママさんに良いプレゼントになったと思う。
スナックラスト20セントは、松山市二番町の老舗だ。
「ママさん、ラスト20セントは不滅です、ずっと続けて下さい。」と3人は言った。
冨田君は、三山ひろしの歌のメドレーで最高点を出し、羽藤君はどの歌も落ち着いた発声で満場を魅了した。
いつもの台詞になるが、午後9時20分の時刻はあっと言うまだ。ママさんの見送りを受け2人はタクシーに乗り込んだ。
「次回の松山は、俺のフレンチだぞ。」と手を振りながら四之宮は叫んだ。
きっと来る、きっと来る・・・・、まさに今日は明日の夢実現の希望につなぐ一日となった。






















次回の今治西高3人会は、令和元年7月27日(土)に、今治市において開催をします。風邪気味であった羽藤君もすっかり元気を回復しましたので、大いに盛り上がりを見せるものと思います。
令和元年7月4日(木)