宇和島じゃこ天カーニバル

愛媛県合唱連盟主催の四国合唱コンクールの運営をお手伝いしていた私の妻が、伊予銀行合唱団のコンサート(宇和島市南予文化会館)で、地方局がじゃこてんの歌を歌わせて頂いた時のお礼を述べているのを側で聞いていた玉井恭介理事(当時)が、「楽譜はないか」と妻に訊ねられた。妻が「宇和島地方局にあるかもしれない。主人がじゃこてんで地域興しを考えていると聞いたことがある」と答えたところ、じゃこてんの歌で地域の活性化を考えていた玉井さんは直ちに私のところを訪ねて来られ、「じゃこてんで地域興しを考えている、楽譜はあるか」と話された。じゃこてんの歌は宇和島ユースホステル支配人浅田康路さんの作詞、作曲であるが、楽譜がなかったため、必要になると思い私の秘書であった芝(旧姓、現山内)さんに「だれか楽譜を創ってくれる方はいないでしょうか。」とお願いしたところたまたま彼女の友人に音楽に携わっている女性がおりボランテイアで完成して頂いていた。また、この楽譜は宇和島地方局職員有志が、一年前、南予文化会館で開催の、伊予銀行合唱団による定期演奏会の、貴重な時間を割いて頂き地方局山内係長(現御荘林業課副参事)の指揮によるじゃこてんの歌を発表した時のものでもある。多分歌がステージで合唱されたのはこれが初めてではないかと自負している。「あります。宇和島商店街の長いアーケードを使って、歌い、踊り、ぜひやりましょう。協力していただける団体の紹介をお願いします。」と答えた。
私はこのイベントは成功すると確信していた。なぜなら、一年間の宇和島生活で、この地域の持つ底知れぬ潜在能力を実感していたし、これらの人材を活用してのイベントのイメージは、私の頭の中にすでに存在していた。このチャンスを逃してはニ度と機会は巡ってこない。実行あるのみ、と思った私は、当時、南予地域活性化現地対策本部の実働部隊の実質的責任者であった井野(現南予地方局総務県民課長)課長補佐を呼び、口頭でゼロ予算での計画案を説明し、島原蒲鉾組合理事長(当時)にお越し頂くよう連絡を依頼した。この時8月末、イベント開催日よりわずか2カ月前であった。
 

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