日本一周バイクツーリング 北海道編3
平成28年7月26日(火)
早朝、帯広市内を散策する。相変わらず曇天である。今後の日程は、札幌市2泊、函館市2泊、津軽海峡フェリーで青森市となっている。しかし、天気予報では、ずっと雨となっており計画通り進むのは、困難と思われた。その上ホテルも混んでおり、急な予約は難しい。このことがずっと脳裏を離れなかった。
札幌市に向かうため、ホテルを出発しようとすると、話かけられた。バイクを見ており、どうも装備に関心があるようであった。北京工科大学教授 魏曉寰さんと芸術家 經徳オさんであった。「これは、なんですか。」と、着ているヒットエアのプロテクターを指さした。「バイクが事故を起こした時に、体が投げ出されると、風船のように膨らみ体を衝撃から救います。」と答えると大変驚かれた様子であった。自己紹介をし、話が弾んだ。バイクツーリングは、風光明媚な景観も良いが、やはり様々な方々との会話がこの上なく楽しい。お別れする時「良い旅を。」とエールを頂いた。出発。ガソリンスタンドでガソリン注入。帯広 広尾自動車道に向かう。乗り入れる、次に道東自動車道になった。十勝 平原SAで休憩。緑と黄金色の広大な麦畑が美しい。水分補給。出発してしばらくすると突然霧が出て前方が見えなくなった。恐れていたことではあったが、冷静に対応するほかは無い。気分は滅入るがなんとか乗り切った。そして一変青空となった。
西冠PAで、緊張感で疲れた体を、休憩して癒やした。昼食。しばらく休み、気を取り直して出発。しかしなんと言うことか前方に雨雲が見えて来た。いやな展開だ。やはり凄い雨となった。乗り切るほかは無い。やっと雨が止んだ。しばらく走行すると、札幌市となった。道東自動車道を降りる。やはり予想通り札幌は、自動車が渋滞をしており気温も上昇をしたがとうとうホテルに着く。念願の道都に着いたのだ。フロントで「美味いラーメンやさんは。」と聞き教わった。手の込んだことが分かる美味しいラーメンであった。札幌生ビールで道都征服を祝し乾杯。至福の喜びであった。(このツーリングでは一回のみ。私はバイクツーリング中はアルコールは絶対に飲まないこととしている。翌日のツーリングで眠気が出て来たり、反射神経が鈍るからだ。)。
ホテルに帰り、明日道庁を訪問する予定なので、そこで会おうと思い、友人の佐瀬一洋さんに電話をした。奥様が電話口に出られた。「夫は、今実家である網走に帰った所です。」と答えられた。そして愛媛県からバイクで来たと話すと、大変驚かれた。明るく気さくで活発な奥様でしばらく、楽しく、お話をさせて頂いた。直後に佐瀬さんからも電話があった。「もう少し早く連絡を頂いたら良かったのに。」と大変残念がられた。持病もあり、バイクツーリングが無理に成らないよう、必ず会えることが確信を出来る時まで連絡をしないこととしていると話し、理解を頂いた。佐瀬さんは、張りのある元気な声で話され、充実した生活を送られていることが良く分かった。そして思い出話しに花が咲いた。佐瀬さんが道庁の現役の時、自然保護課に勤務したことを後ほど知り、雄大な北海道の様々な事を直接聞く折角の機会を失したことは極めて残念であった。

帯広市内















(続く)
平成28年7月27日(水)
朝から、雨、風が激しく降り、吹いていた。その中を北海道庁を目指して歩いた。道を間違えながら歩いた。
驚くべき事に、札幌市民の歩く速度は極めて速い。高齢化社会になった今、地方では、意識も含め、お年寄りの速度に合わせたシステムになりつつある。高齢者がスーパーなどで買い物をするために、ゆっくりゆっくりとレジで支払っていても、周りの人々が別にいらつき感をあらわにする事も無く、当前のように待っている。札幌が大都会である事を改めて実感をさせられた。赤い煉瓦の建築物が見えて来た。赤れんがの旧道庁だ。写真撮影。傍にいた観光中の中国の家族連れの方に、写真撮影を依頼された。旧道庁を背景に写真撮影。終え、道庁に入る。ロビーを撮影。ロビーに売店があった。カフェ赤レンガに行く。やはり思ったとおりだ。有りがたいことに景色が展望出来た。コールコーヒーをお願いした。雨、風で疲れた身には、美味であった。北海道の花々が、店内に展示をされていた。風景を眺めながら今日の行程を頭に巡らせた。カフェの店主の写真撮影。気持ち良く応じて頂いた。このようなスナップ写真が、帰宅をしてから、良い思い出になる。観光局を訪問。及川昌浩さんと瀬尾雅秀さんに応対を頂く。北海道の景観、高速道路、車の運転等の感想を述べさせて頂いた。名刺交換の後、3人が並んだ姿を写真撮影。これでストックに福岡県庁物産振興課の後潟和也さんとの写真と併せ、北と南の2枚が揃った。感無量である。私とのショット写真は、市町村では鳥取県智頭町企画課の國岡大輔さん、県庁では群馬県観光物産課の皆さんが 最初でした。これらの方々の決断によって、日本一周バイクツーリングが一層楽しいものと成った事は申すまでも有りません。心からお礼を申し上げます。
お二人に、道庁食堂で北海道らしいメニューはとお聞きしました。すすめられた
のはエゾシカのハンバーク定食でした。少し、野生味がある味覚でしたが、思い出に残る食事となりました。そういえば自治大学校の時、佐瀬一洋さんなど北海道の面々に、取り寄せたオホーツク海の氷を浮かべた、オンザロックをごちそうになった事を思い出しました。再びロビーに帰ると、お宝発見ミュージアムが開催をされていました。鑑賞をしていると、全国の美術館で歌麿を館蔵している所の資料がありました。それで、愛媛県大洲市肱川の風の博物館が入っているかを、お聞きしましたが、残念ながら、有りませんでした。風の博物館は、季節によってシャクナゲが咲く自然豊かな公園に設置をされている活発に活動をされている楽しい美術館です。一度是非入館を。
道庁を出て、札幌時計台に向かいました。まだ、雨風が止みそうに有りません。雨宿りのため、札幌市役所に入りました。多くの方々がロビーで、休憩をされていました。しばらく休憩をしなしたが、意を決して外に出、向かいにある時計台に行きました。風情のある良い景観でした。雨風にもかかわらず、沢山の方々が楽しんで居られました。しかし雨風が更に強くなって来たので、これ以上の散策は無理だと諦めホテルに帰りました。



















(続く)
平成28年7月28日(木)
朝になると、雨が止んでいた。しかし天気予報では、小樽地方は午後3時から雨となっていた。雨に遭わないよう、朝食を終えると直ちにホテルを出発し、JR札幌駅に向かった。ホクレンの前を通ると、案山子の姿が見えた。北海道で植えられている、稲が植えられていた。面白いので写真撮影をする。JR札幌駅に着き、小樽行きのホームに行くと、既に沢山の乗客が並んでいた。小樽の人気度が窺えた。満員となった電車内には、若者、定年退職者風の人、外国人で溢れていた。札幌から、50分ばかりだ。小樽にちかづくと車窓から曇り空の石狩湾が見えた。小樽到着。JR小樽駅を出るとなにかしら独特の風情が感じられる、小樽駅前通りが眼前に展開をした。風情を楽しむため、ゆっくりゆっくりと小樽港を目指し通りを下っていった。旧手宮線を撮影。さらに、下って行くと、小樽運河に着いた。巡航船に乗った方々が楽しんでいた。ここは後ほど楽しもうと、小樽港へと足を進めた。華やかな第50回おたる潮まつりの看板があった。豪華で素晴らしい祭りであることが推測をされた。小樽港到着。港はなぜか心を和ませる。ブイに腰をかけ、裕ちゃんの気持ちになって、しばらくボーとしていた。
小樽運河に向かう。赤煉瓦倉庫があった。中に入り写真撮影。そして昼食をとった。ずっと巡行をして行くと、小樽運河に着いた。情緒溢れる光景に小樽に来たことを実感した。写真を撮影。この感慨を楽しむため、佇んだ。しかし、残念だが雨に会わないように時間を切り上げ、JR小樽駅に向かう。途中でスーパーに寄る。地元の方々が利用する物産を確かめたかったからだ。驚いた、ほっけ、にしん、いか、さば、いわし等が安価で売られていた。ジャガイモのフライを購入。150円であったがこれは北海道を感じさせる美味さであった。一番美味しいラーメンをと頼むと、これですと、出された。これも美味かった。地元の方々が日常生活で活用されるところが、美味しいと言われるが、正にその通りであった。そこを出た。妻に、小樽では寿司を食べるようにと言われた事を思い出し、お腹が一杯であったが、食した。
確かに美味かった。良いぞ小樽、楽しかったぞと満足し、雨に遭わないようJRに乗り、札幌に帰った。











































(続く)
平成28年7月29日(金)
今日も、朝から雨だ。実は本来であれば、函館のはずだった。しかし函館もずっと雨が続き移動をすることが出来なかった。だが札幌市内はどこもホテルが満員で、最悪の場合雨の中を函館まで走行しなければならないなと、覚悟をしていた。お願いしていたところ幸いにも札幌のこのホテルから、空きが出たと夜中に連絡を頂いた。結局4泊をすることになった。そこで、阿寒湖に向かうPAで、お会いしたクロスカブの方に、新日本海フェリーは滅多なことでは揺れないと教わったことを思い出し、直ちに予約したところ明日の苫小牧東港19時30分発、明後日5時30分敦賀着の便を確保することが出来た。それで、不要となったバイクウエアなどを置かせて頂いていた、函館のホテルにお詫びと預けている荷物を自宅に送って頂くよう連絡をした。また併せて札幌でも不要となった、荷物を自宅に送付をした。終えたので、雨の中をJRタワーに向かった。札幌市の全体の景観を見ておきたかったからだ。タワーの途中に讃岐うどん店があった。嬉しいことに店内は賑わっていた。タワーでは、雨に煙る札幌市を眺めた。今回の北海道バイクツーリングでの様々な出来事が去来した。広大な草原、支援を頂いた方々、明日はもう船の中だなと思うとなぜか感傷的になった。カフェの店員さんに、帯広市の方向とか、明日行く苫小牧の方角などを教わった。(それにしても、これを書きながら、北海道が台風の影響で、走行をした思い出多い、国道274号線日勝峠の壊滅的な被害の報道が流れ、心が痛む、一日も早い復旧を心からお祈り申し上げます。)
心行くまで展望をした後、船酔いの薬を購入しホテルに帰った。苫小牧は明日午後から雨の天気予報である。早朝にホテルを出発しなければならない。
















(続く)
平成28年7月30日(土)
早朝に起床。ホテルの外に出て、天候を確認。昨日まで吹いていた、風も弱まっていた。又、有り難い事に曇天ではあるが、雨も止んでいた。バイクに荷物を積み、出発の用意をする。4日ぶりの運転だ。ホテルの玄関まで、支配人さんに、見送って頂いた。運転技術を磨き、体力を向上させ、もう一度北海道に来たいと思った。このチェーンのホテルには、今回のツーリングで様々な無理をお願いし、大変お世話になった。なんと言っても、朝食に、生野菜が食べ放題であったのは、健康管理の上からも有り難かった。国道36号線で苫小牧東港に向かった。まず、ガソリンスタンドで油を満タンにする。走行し易い国道であったが、途中で弱い雨と霧に悩まされた。この霧は、苫小牧東港まで続いた。約2時間で新日本海フェリーターミナルに到着。港も霧に包まれていた。早く到着したので、昼食を食べようと、ターミナルのフロントで「近くにコンビニはないですか。」とたずねると、「10分ばかりのところにあります。」と返答があった。コンビニは10㎞のところにあった。北海道では10㎞は近くなのだと理解した。
ターミナルに帰り待っていると、バイクに乗った方が降りてきた。山梨県の方であった。新日本海フェリーは、初めてで、不安であったので、色々お聞きした。この方に懇切丁寧にお答え頂き、乗船の際大変役だった。残念にも、この方とのツーショットの写真が写っていなかった。申し分けない気持ちで一杯である。もしも、このホームページをご覧頂いておられれば、心からお礼とお詫びを申し上げます。
その内、黄色のバイクウエアを着た、林道をツーリングした、神奈川県の親子鷹の方と会話をした。四之宮の性の発祥の地が神奈川県平塚市の四之宮であると話すと、会話が盛り上がりを見せた。
午後6時30分になると、待機しているバイクが順番に、到着したフェリーに乗船を始めた。乗船橋は、勾配が急であったが、無事フェリーに乗船。船室までの距離がかなりあり、痛んでいた、腰や足に負担となったが、なんとか部屋に入ることが出来、バイクウエアを脱いで着替え、ベッドに横たわった。づっと続いていた緊張感からやっと解放ををされた。心配をしていた、船の揺れは、全く感じられず熟睡をした。











(続く)
平成28年7月31日(日)
午前7時45分フェリーは、秋田港に着いた。船は、全く揺れることなく熟睡が出来た。バイクに、折角昨日購入した、酔い止めの薬を忘れ、心配していたが、瀬戸内海を航行するのと同程度での揺れであった。甲板に上がり、港の景観を見る。眺めながら、秋田市で駐車場で難儀をし、佐々木さんと坪井さんに助けて頂いたことを思い出した。温かいご支援有り難うございました。秋田港出港した後、浴場に入った。大きくて清潔な大浴場であった。船内では皆さん、読書したり、食事をしたりして、楽しんでいた。私は、コインランドリーで、バイクウエア、ジーンズ、シャツ等を洗濯し時間を費やした。
15時30分、新潟港に着岸。
甲板から、新日本海フェリーターミナルでお世話になった、山梨県のライダー、神奈川県の親子のライダーを見送った。お世話になりました、と心の中で呟いた。
それから、ノンビリと、緊張感をほぐし、疲れを癒やした。









平成28年8月1日(月)
朝5時30分、フェリーは敦賀港に着岸をした。バイクに荷物を積み出発をする。
舞鶴若狭自動車道に乗り、走行をする。早朝なので車は少ない。
それでも、対面交通は、巡行速度で走行すると、後方から来る車に配慮しなければならないので疲れる。
舞鶴PAで休憩。水分補給。
六人部SAで、朝食をとる。暑くなって来た。北海道は涼しいかったので、体に厳しい。吉川ICから中国道に乗り、福崎ICから播但連絡有料道路に降りた。姫路東ICから山陽自動車道に乗る。ここからは良く走行をした慣れたルートだ。赤穂ICで降りる。I君に、北海道バイクツーリングを終えたことを報告するため、市内の萬福寺に向かう。灼熱の暑さであったので、冷水の入ったペットボトルを2つ用意し、一つを墓前に添えた。報告をした後、水を飲みながら語りかけた。「私のバイク技術では、北海道ツーリングは困難であった。それとやはり体力の衰えを感じる。バイクの取り回しが自由に出来ない。PCX125を主なバイクにしようと思う。これからは、なかなか会えにこれないかもしれない。ごめんな。」。 なにか寂しい気持ちになった。しばらく静寂が続いた。ふと脳裏に浮かんで来た。あれ、弱気になって、チャレンジ精神を忘れるところだったな。「ごめん、弱気になっていた。体力を鍛え、また来るな。」と話しかけた。すると突然それにあたかも答えるかのように、清涼な風がどっと吹いてきた。I君のことでは本当に不思議なことが起こる。清々しい気持ちになり、「よし、また来るな。」と決意を述べ墓前を去った。山陽道に再び乗る、瀬戸自動車道に乗り、坂出市となった。
無性に、うどんが食べたくなったので、豊浜SAで讃岐うどんを食べる。久しぶりの四国の味、この上なく美味しかった。島根のバイカーと言葉を交わす。牧場を経営されており、これから高知県の室戸岬に行くとのことだ。同年輩の方であり、心から楽しんでおられる姿を見て、また、バイクツーリングの意欲が湧いてきた。
松山道川内ICで降り、国道11号線を走り、午後5時過ぎに我が家に着いた。そこには妻の安堵した姿があった。



(終わり)