祭り男

井野課長補佐は、私が宇和島地方局に赴任してから1年間、南予地域の活性化の中心となって、活動してもらっていた。彼は、私の無理とも言える数々の指示を、これまで全力を尽くしてこなしてくれていた。彼の上席には課長、部長が存在する。階層組織である公務員の中では、それらの方々の理解を得ながら、私の直接の指示を実行していくのは、そう簡単なことではない。その彼がその後ずっとじゃこてんカーニバルの実現を目指し、私の片腕となって活動してくれることとなる。後から聞いた話では、彼が余りにも「宇和島じゃこてん、宇和島じゃこてん」と言うものだから、奥様が「どうかいい加減やめて欲しい」と懇願されていたと、お聞きした。知らなかったのだが、実は彼の奥様の実家は、八幡浜市の中心街でも有名な、八幡浜じゃこてんの販売店であった。私のこのやり方は、組織社会では余り誉められたものではないかも知れない。また、にがにがしく思われた方もおられると思う。しかし、この方法を保健福祉の統合、市町村合併、リサイクル施設の愛媛県の誘致にも取っていた。新しいことに取り組むには、不安感と周りからのプレッシャーがものすごい。これに立ち向かえるのは、単に頭のよさとか地位とか肩書きとか一緒に酒を飲んだとかは、別のところにあると実感していた。
また、当然失敗は許されない。周囲に大変な迷惑をかける。単に頭を下げ「ごめんなさい」ではすまされないからだ。だから、こういう時に私にとっての背水の陣は、この方法であった。
これを身につけたのは環境衛生係長の時代である。料理飲食、旅館、ホテル、理容、美容組合など、サービス産業の方々とお付き合いした時である。保身のため公務員はどうしても責任をとらされないように建前論のやりとりに成り勝ちになる。私が建前論で格好良く話せば話すほど、業界との関係がどうもギクシャクする。悩んでいた私は業界のある方の言葉で目が覚める。「私たちは、補助金を潤沢に頂いているわけではない。腕一本で生きているのだ」と。
このような方々に建前論で話しても、すぐ正体はばれてしまう失礼だ。それからは目が覚め、積極的に本音で話すようにしたところ、少しづつ円滑に進むようになった。また、この係長時代に、新しい補助金制度を創ろうとしたがどうしても旨く行かず、四面疎歌に陥ったことがある。そのとき最後まで支えてくれたのは、私の若いNとSの2人の係員であった。もしあの時、彼らの最後までの、献身的な支えがなければ、それからの私の県庁生活は、全く別のものになったであろう。またこの時代、宇和島にかどやの清家ありとも耳に伝わって来ていた。その清家会長と14年後運命的なお付き合いをすることになろうとは当時知るよしもない。
保健福祉の統合、市町村合併、リサイクル施設の誘致に携わったが、その時々に不思議に私を本気で支えてくれる若い人々が、現れてきた。南予地域活性化、この実行時に、その役割を果たしてくれた一人が、井野課長補佐である。私は決して面倒見が良くはない。恩返しを彼らに出来ているわけではない。今は、自らの力で彼らが生きるよう願い心から感謝をするしかない。
とにもかく、私の県庁時代の行動の原点は、この環境衛生係長時代であった。
この経験を重ねたお陰で、新たなことに取り組むに当たって、信頼できるか、頼りにできる方かどうか、直感的に分かるようになったと思う。
幸運なことに心から信頼でき頼りにしても良いと心から思ったこのお一人がまさに島原前理事長さんであった。
 

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