羽ばたけ宇和島世界に向けて

宇和島の底力を本当に知っている人々は少ないような気がする。経済は疲弊化し、なにもないようなことが言われることが多い。多分これは宇和島の男性は寡黙で外に向かって自己アピールをするのが不得意からかも知れない。実は私も良くは知らなかった。商店街は寂れ何も無いとの言葉を信じていた。バイクに乗り始めたころ朝早く起き足摺岬などに日帰りツーリングをしていたが、丁度宇和島で朝9時過ぎになる、休憩も兼ねて朝食を食べていた。昔ながらのラーメンを食べさせて頂けるお店がその時間帯でもオープンしているので良く利用していた。宇和島には駅前以外には食事するところは何もないということがインプットされているのでこんなものかと別に疑問も抱かなかった。ところが宇和島に赴任して一変する。様々なものが存在するのだ。宇和島駅前のすぐ近くの辰野川沿いに早朝5時から開店するうどんやさんがあったりする。そこを早朝から市長さんとか商工会議所会頭さんとか市民の多くの方々が昔から利用され情報交換するコミュウニテイーの場となっている。セルフサービスだ。それと喫茶店が沢山ある。多分今松山市以外県内の市町村で商店街から歩けるところに喫茶店が存するところは少ないと思う。地方局にいた当時調べた限りでは人口当たりの喫茶店数は松山についで多かったような気がする。ただ、商店街から少し離れている。又入り口がけばけばしくなく狭い。ドアを開け入ると中は想像以上に広く趣味の良い家具が置かれていて驚かされる。喫茶店によっては朝早くから開けられており、ここも市民のコミュニテイーの場となっている。コンビニではない個人商店も多い、ホータレいわしのさしみとか新鮮な果物をおいており安価で実に美味い。お年寄りの方には便利だ。おいしい個性的なラーメン屋さんも数軒ある。お好み焼き屋さんも美味い。祭りも多い。ボーン、ボーンと音がするからなにごとかと思えば旗火の音、祭りを知らせる音である。これが頻繁にあるから驚きだ。また、それに伴いもちまきがある。私の運転手をしていただいたNさんがついたもちは美味しいと評判で方々から餅つきの声がかかるが駆けつけることを全くいとわない。ボランテイア精神が旺盛だ。方々に寺がある。クリスマスシーズンになると個人の家を電飾で飾るところもある。これは実に豪華で見れば本当に驚かされる。多分松山市の花園町の電飾に勝るとも劣らない。しかしそれを誰もPRしない。個人の楽しみで終わる。本を書かれる方も多い。様々な研究会がある。
それと女性の方々が様々な習いごとをしている、半端でない。お茶、習字、そろばん、華道、着付け、美術、舞踊、裁縫など・・・。
私の妻はお世話になっていたクリーニング屋の奥さまは両手一杯の習いごとをしている、なんでもできる方だと感心するばかりであった。
そればかりかこの奥様ラーメンまで打ち美味しいと評判のため市内の多くのお店におろしていた。娘のところに宇和島からの女性の方がお客でこられることがある。宇和島の方の習いごとの身に付けていることの多さを話すと「そんなこと当たり前と違うの。」と答えられたとのこと。
日本政策投資銀行の藻谷さんが宇和島の活性化ということで講演にこられたことがあった。世界各国の地域活性化を見ているということで大変興味を持って参加した。残念ながら多くの方々と同様宇和島には何も無い。商店街が寂れている。何も行動しないとの話になった。私は強く反論した。そのため少し座が白けて終った。ほとんどの調査にこられた方々は1-3日で駅前、商店街だけを見て終わる。なにも見ていないのだ。宇和島の真の姿は商店がから少し離れたところにある。ただ、けばけばしくないから本当に分かりにくい。
宇和島の方々はなにも行動していないのではない。祭りなどは今ほとんどの地域で年に1回もするのがやっとだと思う。それを驚くほどにたくさん催す。それを支える人々が現に行動をしているからこそ可能なのだ。
松山観光港で4回のイベントを行った。通常日だ。勧誘したがどこの団体も申し訳程度の謝礼金では2の足を踏む。まずは、勤務を休んで行かなければならないので日当がいるから始まる。もうこれでアウトだ。しかし、このイベントには宇和島から、愛南町から、鬼北町から駆けつけて頂いた。業者の方々はお店を閉めてまで駆けつけて頂いたと言う。行動力は十分あるのである。
ただ、この地域自らは語らない。「なにもしないですね。」と尋ねれば「そうですらい。」と答える。
忘れてはならないことは、この地域はみかん、真珠、魚養殖の3度の繁栄を経験している。それは私たち東予の水田農家やサラリーマンの家庭がほとんどのところではその豊かさの時代は想像もつかない。思うに宇和島の方々はこの時代と比較されている。
県下の地域でこのような途方もない3度の豊かさは経験しているところはない。宇和島の方々の言葉を額面通り受け取ってはいけない。比較の基準が全く違うのだ。
伊達文化の影響とこの経済の豊かな時代に身に付けたものがこの地域のとてつもない奥深さに繋がっているのではないかと思う。
宇和島は奥が深い。私のこの見方も実はほんの入り口かもしれないと思っている。
この様な地域の方々だから結集さえ頂ければ成功だと確信していた。
 

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