今夜もフィーバー今治西高3人会
料理、酒、カラオケを楽しむ
羽藤君 足腰 快調
食べれない? 冨田君
さようならCBR250R
令和元年9月21日(土)
待ち合わせ場所の大街道の入り口に行くと、既に羽藤君と冨田君が待っていた。市内電車にタイミング良く乗車出来たとのことである。
「お待たせしました。早く着いたんだね。先日は、お世話になりました。それでは、俺のフレンチに行きますか。」と四之宮は言った。大街道を歩いて行ったが、その時羽藤君の歩くフォームに気が付いた。「あれ、直ちゃんスタスタとスムーズに歩いているね。」と、四之宮は言った。
「そうなんよ、足は、直りました。」。
「それは、良かったね。今日の懇談は盛り上がるね。」と四之宮は言った。
俺のフレンチ到着。
テーブルに案内される。
店員さんがオーダーに来られる。
「とりあえず、生ビールを頼もう。」冨田君、羽藤君、四之宮。
3人の乾杯の写真撮影を店員さんにお願いする
いつもながらこの最初の一杯はすこぶる美味い
「料理の注文は、実さんに頼もう。」 羽藤君 四之宮
「それでは、アワビのステーキ、特大ロッシーニ、鴨のローストにしよう。」と冨田君は言った。
確かに、俺のフレンチは、肉料理が美味しい。それにしても豪華だ。いやが上にも期待感が高まる。
「そう言えば、三人会の四之宮の写真が少ないな。撮ろう。」と、冨田君が撮影してくれる。
特大ロッシーニとアワビのステーキが出される。冨田君が取り分けてくれる。
特大ロッシーニのフォアグラが舌の上でとろける。
「美味いなー。」と3人。
冨田君は、生ビールを、羽藤君は、おれの泡 ロゼを、私は、ジンジャーハイボールを頼んだ。
「今度、我々のメンバーからなる今治西高の同窓会を開こうと山本浩三君が言っている、それと妻と松山のホテルで食事をしようと思う。」と羽藤君が言った。
「最近、食欲が落ちた。体重も減少している。」と、冨田君が言った。
「妻が、また入院をした。」と、私も近況を語った。
実は、料理と酒が美味しいこともあり、黙々と食べ、飲むことに没頭し、余り会話をする暇も無いほどであった。
鴨のローストが出された。再度、冨田君は取り分けてくれる。有り難い。
噛めば、噛むほど肉汁が広がる。
羽藤君がハイボールの追加を、私は吟醸酒 石鎚をお願いする。
俺のフレンチ 料理は勿論だが、アルコール類の品揃えが素晴らしい。それも手頃な価格だ。これは、楽しい。
私は、もう満腹になっていた。
冨田君が「ラストオーダーをしよう、マルゲリータを頼もう。」と言った。
私は、まだ料理も酒も残っていた。冨田君は食欲が落ちたと言っていたはずだがと私は正直思った。
そう言えば、3人会を始めた頃は、食べるのも、飲むのも私が一番早かったように思う。なにか、一抹の寂しさを感じた。
店内を見渡すと、ライブが華やかに行われ、満席だ。
3人とも完食、大満足だ。心もうきうきと店長さんの見送りを受け、スナックラスト20セントに向かった。
道中、完全回復成った羽藤君は本当に足取りも軽やかにスタスタと歩いていた。
途中、大街道に日切り焼きの店が目に入った。
「あれを食べよう。」と冨田君が言った。
「満腹で、食べられない。」と私は言ったが、冨田君は購入し、結局3人で食べた。
食欲減退冨田君 ?・・・・・
スナックラスト20セント到着
ママさんの笑顔で迎えられる。
早速カラオケだ。
冨田君は 三山ひろし、羽藤君はしっかりとした音程とリズムで歌う。
私は、夜明けのブルースを歌い、来島海峡、安芸灘の風、冨田君と共演で四万十川も歌う。安芸灘の風 来島海峡 四万十川はいずれも私のバイクツーリングの原点だ。四万十川の魅力の虜となり、数え切れないほどツーリングをした。そして本州に目を向けるようになり、とりあえず尾道市までとしまなみ海道を走行した。そしてもう一つのルートとして呉市を目指し、幾度となくいくつもの橋を渡って呉市までバイクツーリングをした。豊島大橋が完成したときは、いつもその場所で引き返していたので感無量に成ったことを思い出す。しかし、最柊の目的地である広島市までの尾道市からあるいは呉市からのバイクツーリングは困難を極めた。ナビが無かったので一方通行の多い広島市内に行くことは、恐怖感があった。長い期間を経てそれらを克服、ついに広島市を征服。そこから日本一周バイクツーリングが始まった。これらの歌を歌うと、その時の光景が眼前に浮かぶ。私のチャレンジ心をかき立てる、心の歌なのだ。
羽藤君は、隣の方が偶然今治の同郷の方なので、話が弾んでいた。
冨田君と私の四万十川のカラオケが最高点を獲得。安芸灘の風が88点でラッキー賞を獲得。3人のカラオケのフィーバーはずっと続き、名残り惜しいがJRの時間となり、お開きとなった。ママさんの見送りを受け2人はタクシーの人となった。
追記
さようならCBR250R
どんなにウオーキングを重ねても、足腰の痛みが消えず踏ん張れない。
羽藤君が数ヶ月で回復し軽やかに歩く。
冨田君は、食欲減退と言うが、私より食欲旺盛で、早く食べる。
私はそれを見て、残念ながら体力の衰えを感じた。
250ccのバイクが操れないのである。それで九州から北海道までともに走行した盟友を思い切って手放すことにしました。ツーリングに備えて前後ドライブレコーダーなどを取りつけ、強制保険も先日3年間に加入したばかりでした。8年間の長い間本当に有り難う、CBR250R。
そして残っている秋田県などの県庁訪問は、PCX125で、まったりと実行し続けます。引き続き皆様の温かいご声援を賜れば幸いです。
















































