若獅子会幕引きへ
生活にストレスは無い
ストレスは、受けるものでは無く
相手に与えるもの
それぞれの思いを馳せて、歩みは続く
平成31年4月22日(月)
平成31年4月22日(月)18時全日空ホテル『桃園』に於いて若獅子会の幕引きの会が行われ、出席をした。若獅子会とは、昭和44年4月1日付で、愛媛県職員となった同期の集いである。昭和44年10月の初回から数えて49回目の会合でした。
(詳しくは、下記機関誌 若獅子会 第1号を参照)。
会場に着くと、ずっと世話役を続けた高川さんなどが、席に着き談笑をしていた。久しぶりの挨拶を交わす。前回からの開催から4年ふりだ。山崎肇揮毫の若獅子会の掛け軸が素晴らしい。
時間が来たが、青野さんの姿が見えない。幕引きの会なので全員が揃うまでしばらく待つこととした。
青野さんが、やって来た。やはり愛媛大学の聴講生として授業に出席をしての参加で、会場がなかなか分からなかったらしい。10人の参加者だ。まずは、記念撮影をする。
そして、渡部さんの発声による、乾杯となり、会場が華やいで来た。
終えると、ホテルのスタッフの方々が挨拶に来られた。サービスは心配無いだろう。
やや、緊張した面持ちで、世話役の高川さんから、経緯と幕引きをするとの説明が行われ参加者全員の了承を受けた。
そして、参加者の現状を報告することとなった。
まず、青野さん。
「愛媛大学の聴講生として、心理学を勉強している。学生証も頂いている。」と誇らしげに手に持ちかざして見せた。
次に私、四之宮。
「全国組織としての伊能忠敬の足跡を楽しく巡る会、宇和島地区を中心とした清家会長を囲む会、今治西高同窓生からなる今治西高3人会を結成し、有機的に活動をしている。有りがたいことに頭に描いた通りの生活が送れている。」と述べた。
松岡さん。
「家庭菜園作りに励んでいる、手をかければかけるほど期待に応えてくれる。鷹ノ子から砥部町まで行っている。」と発言をされた。松岡さんはスタンスがずっと変わらないので信頼は厚い。私も大変お世話になった。
永野さん。
「老人ホームに勤務をしている。趣味としてギターをつま弾いている。」と現状を紹介された。永野さんは、穏やかなやさしさをずっと維持されている。ホームの皆さんに頼りにされていることだろう。
熊さん。
「大病を患ったが、元気でいる。病院は3ヶ月に一回だ。趣味の楽器を生かせ、市内のお店に週に4回ほどライブに参加をしている。」と発言をされた。
確か、4年前には大病に罹患されたため、心なしか元気が無かったように見受けられた。でも、すっかり元気になられていた。精神的な葛藤はすごかったと思うが克服をされ、今回の会で意気投合し、靑野さん、永野さんとトリオで演奏会を開催するようである。
原さん。
「書店の店主である。毎日に店に座っている。ロードバイクに乗っている。」と紹介をされた。原さんの読書量は並大抵でない。趣味が事業に生かされている。
我々団塊の世代は、自虐史観の中で育ち、読書をすればするほどプロパガンダの思想に落ち入った可能性がある。団塊の世代が日本国を亡ぼすとも言われている。願わくば、良書を選定販売し、日本国を取り戻させて欲しい。
佐々木さん。
「山歩きをしている。足を鍛えるため1キロの重りを付けた靴を履いている。」と述べた。佐々木さんは、裏表の無い茶目っ気に富んだ方で有る。楽しい人生を歩んで行かれるものと思う。
渡部さん。
「西条市から参加をした。子供たちに柔道を教えている。残念ながら、体の方々が年々悪くなり、病院通いが増えて来ている。」と述べられた。
元気者の渡部さんとも思われ無いような発言だ。後で、山崎さんと二人で、人生はこれからだと話かけた。
山崎さん。
「書道を教えている。山崎肇書作展を数年前、開催し、好評を得た。おかげで方々から声がかかり、多忙な毎日だ。特に子供たちに教えるのが楽しい。ゴルフも続けている。」と述べられた。
私も書作展に案内を頂き、鑑賞をさせて頂いた。どれ一つ取っても同じレイアウトが無い個性溢れる書作展に驚かされた覚えがある。
私は、山崎さんには、いつもストレートの直球で話しかけてきた。その度に調子を変えるでも無いひょうひょうとした返答は有りがたかった。
「生活にストレスが有りません。」と山崎さんは語った。そうなのである、我々は、誰に遠慮をする必要も無い恵まれた環境にいる。正に人生はこれからなのである。
高川さん。
「会社勤めをまだしている。若い方々から止めないで欲しいと言われている。現役の時代は余り読書をしなかったが、県庁を定年退職をした後、350冊ばかり読んだ。スキーを楽しんでいる。」と述べた。
言うまでもなく、高川さんは若獅子会の功労者である。私は、高川さんにも常に直球のストレート発言だ。少々のことでは傷付かない高川さんには安心をして話すことが出来た。
高川さんは、帰り際に言った。「ストレスは、受けるものでは無い、相手に与えるものだ。」と核心を突いた言葉が返ってきた。
そうなのだ、生活にストレスが無い、ストレスは人に与えるもの、我々はこの意気込みで人生の第2章を歩めば良いと思う。
そしてしばらく歓談の後、松岡さんによる3本締めで散会をとなった。
追記 写真を現像しました。参加者の皆さんの顔が生き生きとしていることに気がつきました。写真は嘘をつきません。今後は、皆さん一人一人が主役となった、第2章が始まることを確信を致しました。

































































いこいで開催された頃が最も懐かしいです。おでんを頼み、あさりの酒蒸しを食べ居酒屋としても最高だったと思います。記念すべき第1号に投稿させて頂きましたが、己こそ 己の寄るべ 己をおきて誰に寄るべぞ よく整えし己こそ 誠得がたき 寄るべなり だるまの教えです。これを唱え 困難に遭遇したときは、乗り越えて行きました。抜群の行動力があった愛媛大学少林寺拳法部のI君の影響をいかに受けたかを感じます。私の2人の子供はI君の字を頂いています。不思議なことに娘の友人の兄弟の方は、I君の娘さんと結婚をされていました。それにしても悪筆ですが、この字で秘書課に勤務をさせて頂きました。時の最高権力者白石知事に記者クラブへの発表の時、配席表を記載し置きますが、くるくると回し置かれました。それでも止めろとは言われませんでした。こう言う懐の深さによって私は、育てられました。感謝のほかは有りません。
