3人会
道後湯の町恋の町
賑わう道後温泉街
開店なったかどや道後店を楽しむ
スナックラスト20セント
富貴草舟さんが話題に
平成28年5月28日(土)
朝から、雨が降ったり、止んだりしていたが、午後5時過ぎには、止んできた。
不思議に3人会が、始まる頃には、雨が止む。
会場が、道後と言うことで、少し早めに家を出る。道後の雰囲気を知りたかったためだ。伊予鉄道道後駅に降りると、観光客で賑わっていた。お土産販売店に入ると、バリイさんのタオルが目に入った。間もなく、冨田君と羽藤君がやや時間を過ぎ電車を降りてきた。混んでいたのであろう。挨拶を交わす。2人とも元気そうだ。坊ちゃん列車の前で記念撮影。かどや道後店に向かう。途上、今治タオルの販売店があった。伊織であった。社長は愛媛大学の卒業生で、関東にも出店しており、今話題の人であると羽藤君が説明をした。やはり、今治タオルは美しい。
かどや道後店に到着。温泉 椿湯の前だ。松山大学生だった羽藤君が、懐かしそうに「この温泉、良く来たな。」と言った。
店内に入ると、すぐ清家裕德取締役が挨拶に来られた。「ようこそお越し頂きました。今まで清家専務もお待ちしておりました。」。新規開店のお祝いを述べ、羽藤君と冨田君を紹介した。早速、道後地ビールと生ビールを注文した。乾杯。美味い。本当にこのメンバーと飲むと実に楽しい。マイワシの七輪焼きとキビナゴの唐揚げを注文した。七輪とマイワシが来た。冨田君が鍋奉行となって、マイワシを焼き、食べ頃になると各自の皿に取り分けてくれた。生ビールと実にマッチをした。キビナゴの唐揚げもカリットと揚げられており、これも生ビールに合った。先日、高知県に行きカツオのタタキを ごはんや鉄丸で食べたが、美味かった。鉄丸には、鉄板焼き鳥が有った。この味を習得するため 今治鉄板焼き鳥 五味鳥に通ったと言うエピソードを話した。
そして、酒を注文しようとした時、清家会長から 吟醸虎の尾を頼まれていますと、来られた店員さんが話された。いつもながら清家会長のご配慮には感謝のほかは無い。
四国西南の宇和島市三間町宮野下にある西本酒造。創業以来、大切に守り続けているのが清酒「虎の尾」だ。
虎の尾は、寛永5年(1793年)に一揆を起こした土地の百姓たちに、吉田領伊達3万石の在郷町「宮野下」にあった、時の上酒屋「桑名屋」当主、桑名屋半兵衛が労をねぎらうために振る舞ったお酒だ。西本酒造は、上酒屋「桑名屋」が造り上げたこの酒を、昔も今も、そしてこれからも、お酒を愛する人がいる限り、守り続けている。
羽藤君と冨田君は冷酒で、私は燗をして飲んだ。いつもながらスッと入る。愛媛が誇る清酒だ。宇和島市蒋渕の蒸し岩牡蠣を注文した。
(愛媛県宇和島市蒋渕)
今治西高校同窓会の皆さんのお陰で、私のホームページの閲覧が伸びている。また、西条高校同窓会でも私の写真が掲示されてる、と言うと、羽藤君が「千の風になっての秋川雅史さんの父君は、今治西高校の音楽教師冨田先生の後任で、来られた。」と話した。冨田先生は、今治西高校の合唱部を常に全国大会で、最優秀賞などに輝かせた、伝説とも言える先生である。今治西高校合唱部の校内の発表会は、本当に楽しみであった。実は、この合唱部に私はスカウトされたことが有ることを思い出として語った。
冨田君がそっと言った。「待ち客がいる。あまり長くいると迷惑がかかるな。」。本当だ。店内はいつの間にか満員になっていた。企業に勤務している冨田君はこういうことに実に気がつく。お礼かたがたかどや本店に電話をした。清家会長は唄いの練習でおられなかったが、清家社長の奥様が電話に出られてので、お礼と店内が満員の状況をお知らせした。
清酒 久保田千寿をお願いした。この酒も良い。料理に良く合う。
メニューを見ていると清酒 獺祭があった。幻の酒と言われなかなか手に入らない。
山口県岩国市周東町の旭酒造株式会社の酒だ。羽藤君がそれを見て言った。「社長の桜井博志さんは、松山大学卒だ。奥様は松山大学卒で今治西高校卒でもある。先日、松山大学宮崎ゼミのメンバーで、訪問したところだ。今治西高校卒の奥様とは、今治のことで話が弾んだ。」と話した。3人会過去に獺祭を飲もうと会を開いたことがある。松山にはその店にしか置いていないと聞いたからだ。そのお店の話では「月に一本しか入らない。」とのことであったが、幸い3杯分がやっと残っていたので飲んだ覚えがある。今回は、羽藤君が飲んだばかりのところなので注文をしなかった。しかし、この酒が置いてあることは、間違いなく大きな売りになるだろう。
後ほど知ったが、虎の尾も獺祭も山田錦を使っている。
羽藤君に松山大学が新しく完成されている
と話すと、皆で見学しようとの話が持ち上がっていると答えた。私のホームページに松山大学の写真を掲示していると話した。松山鳥唐揚げ、名産蒲鉾盛り合わせを注文した。さすがに宇和島錦巻きなど、本当に美味しかった。トイレに行った。ピカピカに磨かれていた。店の外に出てみると、観光のお客さんがおられ聞かれた。「なにがお薦めですか。」。迷わず答えた。「まずは、宇和島鯛飯と蒲鉾です。いつも食べるので今日は注文しませんが、これこそが、かどやの味です。」。店内に入ると武田弘之店長が挨拶に来られた。お礼を述べた。勘定をお願いすると、若い店員さんが来られた。アルバイトをしている愛媛大学1回生であった。はりぼて祭りにも参加をしたとのことであったので、あの祭りは素晴らしかった、ホームページに掲載しているので、是非見て下さいと述べた。店員の皆さん若々しくて活気があった。店頭まで、武田店長にお見送り頂いた。全国各地から来られる、観光地道後温泉での味づくり難しいと思う。関東と関西では味の好みが異なる。それゆえ、大街道店、えん家、かどや半兵衛とはまた異なる味作りが求められる。多分これから試行錯誤を重ねられて行くものと思う。しかし、価格は良心的で一見の客でも安心して楽しめることは、間違いない。まだ、この5月20日にオープンをしたばかりだ。今でも、十分に満足は出来るが、更なる発展を続けて行くものと思う。
道後温泉本館に行く。今治西高校の陸上部であった冨田君が「高校の時、大会に来て以来だ。秋山先生に連れられて、峯本(元済美高校教師)君、菅(砲丸投げ元愛媛県教育委員会))君と一緒に来た。」と懐かしそうに言った。
2次会、ラスト20セントに向かう。到着。人が一杯だ。「3人が来られる時はいつも一杯です。福の神です。」。付き出しが出された。手作りである。今日のお客さんは、カラオケが素晴らしく上手であった。ママさんが来られ、プログラムを差し出された。吟道富貴流振興会のものであった。師範 富貴草舟さんは愛媛県庁OBの松崎さんである。私が自治大学校に在学し、民謡部に入部した時、
(自治大学校民謡部発表会)
「愛媛県出身です。」と自己紹介をすると、筑波先生は「愛媛県に松崎さんがおられるでしょう。松崎さんは今までの自治大学校生の中で一番です。プロになれる方です。」と言われた。この当時、愛媛県東京事務所の所長さんをされていた松崎さんには、大変お世話になり、感謝をしている。宇和島地方局長をされた松崎さんは、南予にも支部を創られた。かどや清家会長も長らくこの振興会で、吟詠を学ばれていた。松崎さんは自らの力で活動を続けられている。私の大きな励みとなった。取りあえず7月3日から北海道へバイクツーリングに向かう。伊能忠敬の足跡を巡る会を更に充実させようと決意を新たにした。カラオケは、羽藤君が88点で賞品を獲得し、次に私が88点を取り賞品を獲得。JRの時間まであと15分となった時、冨田君も88点で商品を獲得した。楽しく、思い出話に花が咲いた一日であった。
ママさんの見送りを受け、タクシーの羽藤君と冨田君はJR松山駅に向かった。







































頑張る道後商店街婦人連
くず餅をどうぞ
湯上がり道後朝市を楽しむ
平成28年6月26日(日)
毎月第4日曜日に開催されている、湯上がり道後朝市に行きました。
それは、送付頂いた松山離島振興協会の事業計画に同協会が出品をすると記載されていたからです。
残念ながら、松山離島振興協会は出店されていませんでしたが、元気に活動をされている、道後商店街婦人連の皆さんにお会いすることが出来ました。その時、小さなお子さんが「くず餅をどうぞ。」と販売をしてくれました。
また、餅菓子 大判を販売しているお店があったので購入をしました。ラベルを見ると故郷西条市の製品でした。

















賑わう今治商店街2
展開エリアが拡大したぞ
パフォーマンス種目も拡大
子供さんが楽しそう
ゆかた姿で今治市をPR
咲来楽のママもゆかた姿
平成28年8月13日(土)
平成28年度の蛍雪会総会の後、羽藤君と冨田君との3人でスナック咲来楽へ向かいました。これは、今治西高3人会を行うためです。国際ホテルから歩いていくか、と言うことで歩きました。その時、羽藤君が「今日は、土曜夜市を商店街でやっている。」と話しました。「それでは、写真を撮ってくる。先に咲来楽に行って欲しい。」と答え、商店街に向かいました。到着すると、子供さんも一緒にダンスをしていました。良いですね、ちっちゃな子供さんのダンス。ほほえましくて、賑わいづくりにぴったりです。射的、クイズ、今治名物せんざんき販売、占い、金魚すくい、ライブ、模型新幹線乗り、など智恵を凝らした様々なイベントがなされていました。写真撮影を楽しみました。驚いたのは、イベント展開エリアが昨年より、拡大をしていたことです。商店街の方にお聞きすると、みなと交流センターがオープンしたので、それに合わせ拡大をしたとのことでした。終えたので、スナック咲来楽に行こうとすると、ゆかた姿の女性の方々を発見しました。今治市のPRのために是非写真をとお願いすると、気持ち良く応じて頂きました。咲来楽に行くと、冨田君と羽藤君はカラオケで盛り上がっていました。なんと、ママもゆかた姿でした。隣に居られた方は、すごく歌の上手な方でした。咲来楽の客は本当に歌の上手い方が多い。おまけに、ワインをごちそうになりました。私は、津軽海峡冬景色を絶叫。付き出しは大好物のするめで、満足のなか、すぐ時間となりました。ママから土産に今治のかまぼこを頂きました。帰宅して食べると本当に美味しかったです。JR今治駅まで見送ってくれた、羽藤君と冨田君に「9月に松山で会おう。」と別れました。





FC今治 JFL昇格おめでとう
今治西高 映像祭 優秀賞
おめでとう
3人会 今治の魅力に酔いしれる
平成28年11月26日(土)
今日は、今治で、今治西高3人会だ。
伊予鉄市内電車に乗り、JR松山駅で降りる。地下通路に来ると、どこぞう の懐かしい今治市の観光ポスターが目に入った。今治西高同窓生の羽藤君が今治城の館長をしていたとき、お願いして、送付頂き、松山観光港や広島市内に掲示したポスターだ。写真撮影。上島町、新居浜市、四国中央市の観光ポスターもあった。階段を登り詰めると、眼前にJR松山駅が見えた。駅内に入ると、白い駅名版があった。お聞きすると、台湾から贈呈頂いたとのことである。おう、バリーさんの観光大使のマスコットがあった。なにか、今日は、今治市に縁があるなと嬉しくなった。ふと電光掲示版を見ると、大和ミュージアムの画面となった。次に、セキ美術館が表示された。セキ美術館も松山観光港勤務の時、しばしば訪問をした。館長さん始めみなさんが美術館の運営に真摯に取り組まれていた。それで、パンフレットを松山観光港や広島市内に展示をさせて頂いた思い出がある。気分が良いので、宇和島じゃこ天を購入した。特急は16時28分に発車。車内は、乗客で混んでいた。JR北条駅に近づくと高縄山が夕闇の中に見えた。鹿島や腰折山も見えて来た。落ち着いた良い風景だ。JR今治駅到着。既に冨田君と羽藤君は駅構内で待ってくれていた。今日は、私の電車の到着に合わせ、懇親会は17時30分の開始だ。会場の愛媛県今治市中日吉町1丁目中華料理 長安へ駅西口から向かう。歩きながら、羽藤君がこの近くに今治西高同窓生の武内國太君の武内産婦人科があると話した。また、3人は、JR今治駅周辺の土地区画整理が素晴らしい、今治西高校同窓生の繁信元今治市長の大きな功績だな、と意見の一致を見た。長安が近づくと、思い出多い道路があった。西条市実報寺から通学した今治西高校へと続く道だ。実は、常盤町、日吉町は子供の頃、遊び歩いた所だ。当時は、小さな小学生であったが、従兄弟と二人で徒歩で近見山に登ったり、天保山や水源地、今治港や今治城で遊んだ。叔父が外国航路の船長をしていた従兄弟の家には、当時としては、貴重なパイナップルやバナナ、マンゴウ、コーヒー、紅茶、外国産の洋酒があったのでご馳走になった。小学生であったが従兄弟と良く外国映画も見に行った。また、従兄弟の兄がレコードの洋盤を所持していたので、レッドリバーバリーロックなど洋曲を良く聞いた。私の父は、寡黙であったが、従兄弟の父も寡黙であった。長男を戦争で亡くし、地方ではそれなりの地位であったが職を失い、失意の私の父であったが、不思議に従兄弟の父とは気が合った。多分視点が同じであったのであろう。良く叔母が、叔父は、私の父と最も気が合い、二人は本当にいつまでも楽しそうに話していた、と言っていた。叔母も愛媛県船員家族会の長をしたり、様々な公職に就いていた。様々なとしか言いようがないのである。当時として、女性がこのような地位にいるということは、親戚の中でも偉そうにすると理解されないことが多く、だから、誰も聞かないし、叔母も話してもどうせ分かってもらえないないと、口にすることはなかった。私の妻が、叔母が松山市の堀之内を仲間の方々と颯爽と歩く姿を見て、驚いたと話した事がある。ただ、叔母は私の県庁生活での出来事に興味を持ち、大変に喜んでくれていた。私の魂の心髄は、当時、輝いていた商業、経済、文化の中心地としての今治市で、従兄弟と遊び歩いた日々に、多大な影響を受けたことには間違いはない。
長安のテーブルに着く。まずは、生ビールで乾杯。料理が出される。鶏の唐揚げ、八宝菜、シュウマイだ。鶏の唐揚げを食べる。かりっとして且つジューシーだ。これはいける。今後出される料理に期待感がいやがうえにも膨らんだ。
羽藤君に能登行きを聞いた。静かな佇まいの町並みも有り風情がありよかった、と答えた。また、奥様と足立美術館に行ったが、素晴らしかったと話した。
「FC今治頑張っているね。」と話を振ると、「今日の千葉での、戦いで決まる。今治市から応援に駆け付けている。」と、冨田君が答えた。今治市に骨を埋める覚悟で来られた、岡田オーナーに頑張って欲しいと意見が、一致した。
紹興酒を熱燗でお願いした。餃子も出された。どれを食べても美味い。
いつもながら今治西高校同窓会、蛍雪会の支援は凄いとお礼を述べると、そこから、同級生の話題になった。
ホームページ作成にwordpressを使用している。1年間併行処理をし、検討をした結果からサーバーを複数から、一つに纏めようと思う。その処理に伴い、リンク切れなど様々な症状が起きる、だれか詳しい人はいないか、と話すと、社員にホームページに携わっている者がいる、紹介をしようと、冨田君が答えた。
料理は、麻婆豆腐、ニラ炒め、エビチリと追加された。
これは、凄いな、全部食べ切れない、と思わず叫んだ。更に、焼きそばが最後に出された。
驚くなかれ、我々はこれを全て完食をしたのである。恐るべし、中華料理 長安。
支払いをしてまた驚いた。誠に安価であった。我々は心から満足し、長安を後にした。
外に出ると、今治国際ホテルの明かりが、美しく輝いていた。いまや、ホテルが風物詩になっていることを実感した。
次は、愛媛県今治市松本町1丁目8の1、スナック奈々に向かった。歩く道すがら冨田君が「足は良くなったか。」、と聞いて来た。私は、1年前から、足、腰が痛んでいる。「足の筋トレをして大分良くなっている。」と答えた。
緑の奈々の看板が見えて来た。実に2年ぶりだ。ドアを開けると、一段とママらしくなった。奈々さんがいた。お客で賑わっていた。ウイスキーの湯割りをお願いした。ウイスキーは湯割もいける。早速冨田君は、カラオケを熱唱した。北海道バイクツーリングや中山町の栗、八幡浜市の日の丸みかん、真穴みかん、来島鯛の話題で話が弾んだ。盛り上がったところで、皆の写真。イエーのVサイン。頃合いを見て、席を立った。奈々さんが3人を見送ってくれた。奈々さんに「賑わって良いですね。」と声をかけると嬉しそうに頷いた。
そして、次は、同じ松本町にある、スナック銀に向かった。つい、先日のような気がしたが、2年半振りだ。ドア開けると、ママさんがいた。例の笑顔で迎えて頂いた。スナック銀の良いところは、不必要なものをそぎ落とした、シンプルさだ。なぜか、気持ちが落ち着く。ママさんとの距離間が近く感じるので対話も楽しめる。ママさんが言った。「お客さんにネットに出ているね、と良く言われます。」。有り難いことである。私のホームページの目的も今治市が発信出来たら良いな、と思っているので、大変嬉しい。羽藤君、冨田君、私の3人がカラオケを歌った。最後に、ママさんを囲んで写真撮影をしたが、残念ながら、写っていなかった。しかし、ママさんの笑顔が撮れたので、本日の目的を達成。
JRの時間が来たところで、ママさんの見送りを受けながらスナックを後にした。
今日は、短時間であったが、今治の魅力に触れた一日であった。これから、もっと今治市を掘り下げたいと思いながら、羽藤君と冨田君に松山で会おうと別れを告げた。
翌日の新聞を見ると、嬉しいことにFC今治 JFL昇格と今治西高 映像祭 優秀賞の記事が飛び込んで来た。






































