いよいよ北海道へバイクツーリング
長年の夢であった、北海道バイクツーリングに行くことになった。北海道はどうも雨が降ると冬の様な気温になるとのことなので、バイクウエアも2種類は必要など、いざ計画を立ててみると大変なことが多い。それと、北海道までの走行を如何にするかも懸案事項であった。太平洋フェリールートは、船酔いが激しい私には到底無理である。それでは、日本海側の新日本海フェリーで行こうと切符を予約した。結果が7月3日出発の根拠である。
しかし、敦賀から苫小牧まで20時間、もしも船酔いしたら、持病持ちの私には、悲惨極まりない。ということで、陸路を青森港まで、行くこととした。出発間際ということで、かかりつけ医の県医師会長さんである、久野先生に診察を受ける。「風邪を引かないようにしてください。」と激励を頂いた。長期天気予報を見ると、7月14日の出発しか無いと、決断した。これから、いよいよ、楽しい北海道ツーリングの幕開けとなる。この続きは、ツーリングから、帰った時に書いて行きたい。ノートパソコンで書く手もあるが、安全なツーリングがモットーであるので、バイクツーリング中には余計な負担はかけないこととしている。
有本代表にお互い頑張ろうと連絡をした。
平成28年7月13日(水)
朝から、明日からの北海道バイクツーリングに向けてカメラ、ナビ、ドライブレコーダー、薬など、必要と思われる様々な物品のチェックを行っている。
有本代表から、激励のEメールを頂いた。
それにしても有本代表はすごい。自らの足で歩きながら旅をしている。バイクのチェックを行っていると、代表から電話があった。お互いの目標達成に向けて激励しあった。
いよいよ、北海道への旅立ちなんですね。夏の北海道は、皆のあこがれの地ですからね~。その大地を、バイクで突っ走るんだから…四之宮さんにとっても、楽しみな世界ですね~。私は、伊能忠敬の第二次測量の地を南下中です。私にとっても、太平洋の大きな波を受けるリアス式海岸を歩くのは、一番の夢でしたから、楽しみながら頑張って歩いています。
(有本代表からの激励のメール)
平成28年8月1日(月)
北海道バイクツーリングを
平成28年7月14日(日)から
8月1日(月)の19日間行い、帰宅しました。やはり北海道への道筋は、雨あり、風あり、霧あり、温度の寒暖差、など困難で私のバイクの運転技術に照らすと、想像以上にタフな道筋でした。それで多くの方々のご支援とご指導を頂く結果となりました。有本代表から、是非訪問するようにと言われた、函館山の伊能忠敬の碑文の前で写真撮影が出来たり、広大な原野の直線道路をバイクで走行したり、帯広市役所では 愛媛県伊予郡砥部町の白潟八洲彦(しらかた やすひこ)氏の砥部焼の作品が1Fロビーに展示されており、感激をするとともに元気を頂きました。実は、私は、心臓の他に、胃がん、肺炎、劇症肝炎を患いました。生き延びれたのは、何か大きな力の恩恵を受けたと確信をしています。それで、バイクツーリング中は徹底して、健康管理に配慮をします。それが、私の命を救って頂いた方々への、せめてもの義務だと思っています。味の濃い外食は、20日が限度だと思っています。
無理な運転にならないよう、人との会う約束は絶対しません。それで、友人の佐瀬さんにも、前日の連絡となりました。佐瀬さんは、前日から、実家の網走の方に帰宅をされていました。ただ、元気で明るい奥様とお話を頂き、驚かれるとともにバイクツーリング成功への激励を頂きました。また、佐瀬さんも網走から電話を頂きました。溌剌とした元気な声でした。なぜもっと早く連絡をと大変残念がっておられましたが、以上の事情を説明し、納得をして頂きました。佐瀬さんは、現役時代、道庁の自然保護係長の経験があることを後で知りました。私も北海道の自然に関して、お話をお伺いしたかったのに大変残念でした。
また、東北を旅行中の有本代表とは、常に連絡を取り合いました。
前置きは、これくらいにして、次回から、平成28年7月14日を最初に、順次掲載をして行きたいと思います。
余りにも、暑いので書くのを中断していると、今治西高校同窓生の冨田君から、倒れたのでは無いかと心配の電話を頂きました。
(続く)
平成28年7月14日(木)
いよいよ北海道に向けてバイクツーリングに出発する。昨夜はぐっすりと眠れた。荷物のチェックを終え、妻の用意してくれた、コーヒーと、お握りを食べる。冬用のバイクウエア等は、ホテルに先に送っている。それでも、今回は相当な荷物だ。少し、足、腰が痛むのが不安と言えば不安だ。今日の宿泊地は福井県の敦賀だ。そこまでの道は何度もツーリングしている。
午前5時30分妻の見送りを受け出発。エンジンをかけた途端に戦闘モードに入る。国道11号線を走り、川内インターを目指す。インターだ。加速を付け、松山道に乗る。天気快晴、絶好のツーリング日よりだ。土居PAで休憩。川之江を過ぎ、高松道となった。CBR250Rも快調だ。走っていると、讃岐富士が見えてきた。もうすぐ、瀬戸大橋だ。瀬戸大橋に入る。風も無く走行し易い。かなり走行したので、いつもの様に、与島SA休憩。安全運転のためには、早めの休憩は、必須だ。しばらく休憩の後、出発。
今回はクールネックシャツとメッシュパンツを着用したため涼しい。前回の東北ツーリングでは、クールネックシャツは知らなかったため着用しておらず、また、デニムのパンツであったため、相当暑かったことを思い出した。デニムのパンツは、北海道用に既に予約しているホテルに送っている。山陽道になった。岡山を過ぎ、赤穂市になった。I君にこれから北海道ツーリングに行くことを、墓前の方向にむかって報告。
山陽姫路東インターになった。ここからは播但連絡有料道路だ。福崎インターからは、中国自動車道だ。しばらく走ると、兵庫県三木市から舞鶴若狭自動車道になった。
順調に走り、これでは午後3時30分までには、敦賀だな、と鼻歌まじりであったが、とんでもない楽観論であった。この道路で絶え間ない雨に遭遇することとなる。前日の天気予報では、夕方からの雨であったのに。豪雨を避けての、走行をしていると、結局、敦賀に到着したのは、午後6時30分となった。ホテルに着くと直ぐにタブレットパソコンで天気予報を見た。どうも、今後も青森までの行程のどこかで雨が降るとの予報に変わっていた。これでは、北海道までの今後の日程は予想より大幅に狂うなと覚悟をした。






























平成28年7月15日(金)
朝起きると、敦賀は雨だった。天気予報を見ると、午前中はずっと雨とのことである。それで、チェクアウト、ぎりぎりの午前10時に出発することとした。ホテルのロビーで、コーヒーを飲んでいると、バイクで出発の準備をされている方がおられた。行って、挨拶をした。香川県の方である。お話を伺うと、北海道ツーリングを終え、帰路の途中であった。やはり、この方も全国をツーリングをしているとのことだ。北海道のことに関し色々お聞きした。特に気になっていたのは、フェリーは揺れないかである。帰路は大間フェリーを利用したが、揺れたと話された。貴重な情報だ。実は、コーヒーを飲みながら、この方の雨に対応した出発の準備を見させて頂いていた。ゆっくり、ゆっくりと時間をかけ、着実に実行をされていた。これは、大変参考になった。次回に登場される湘南四之宮の方も、ゆっくりとマイペースで準備をしたら良いですよ、とお話を頂いた。私は、バイクの運転技術は未熟である。北海道長期ツーリングとなると、自らの弱点が浮きぼりにされる。だから、自らを失いそうになることもあるが、北海道ツーリング中は常にこのことを頭に置き、マイペースを通した。
お互いの健闘を述べた後、香川の方は雨の中を出発した。
午前10時に成っても、雨は止まない。思い切って雨の敦賀を出発した。北陸道に入っても雨は降り続いていた。このような経験は、始めてである。SAで雨宿りや休憩をしながら、進んだ。当初の予定では、予報は晴れだったので、新潟市まで行くこととしていたが、雨が降ると困ると思い、途中、富山市に変更をした。結果それが吉となった。幸い、富山市に近づくにつれ晴れて来た。それでもわずか200キロ足らずの距離だったが、到着したのは午後5時頃となった。陸路の北海道までの距離はこの上なく遠い。
(続く)
平成28年7月16日(土)
晴れ間になった。今日も、富山市のホテルに宿泊する予定であったが、急遽、新潟市のホテルがとれたため、新潟市に向かうこととなった。ラッキーと思い、気持ち良く、出発。有磯海SAで休憩。昨年の東北ツーリングでも休憩をしたところだ。秋田市が天気予報では17日に雨のため、新潟市に2泊することとしている。のんびり行けると安心感が漂った。次は越中境PAで休憩。昨年走った、国道や、風景を見て楽しんだ。名立谷浜SAでは、芝生のうえで仮眠をした。ゆっくり行こうと米山PAで休憩。大積PAで休憩した後、新潟中央インターチェンジで降り、ホテルに向かった。新潟駅前にあるホテルまでの道路は、土曜日と言うこともあり、混雑をしていた。やっとホテルに到着した、今日はノンビリと疲れがとれるなと、ほっとした。しかし、ここから悪夢が始まった。ホテルでチェックインのため、電話をし、バイクの駐車場はどこか、と聞いた。答えは無いであった。近くにバイクの駐車場も無いとの答え。悪いことは重なるもので、雨も降ってきた。交番があったので駐車場を教わろうかと思ったが、不在、万事窮す。バイクをホテルの乗用車用駐車場に置かせて貰い、新潟駅周辺を探した。無い。2時間ばかり重いバイクウエアを着て、汗だくになった。途方に暮れていると、バイクに乗った、ある方が声をかけてきた。「私もこのホテルに宿泊します。駐車場が無いので困っています。良い場所を発見しました。私は営業の経験があるので、交渉ごとは得意です。1台は無理でも2台であれば交渉し易いので、一緒に行きませんか。」。正に渡りに船である。「行きましょう。」と快諾をした。交渉は無事成立、バイクを置けることとなった。ホテルに帰り、乗用車駐車場の椅子に腰をかけた。お礼を述べて後、どこから来られたかをお尋ねをした。「北海道のツーリングから、帰っているところです。出身は湘南です。」。思わず「平塚に四之宮という場所があると思いますが、私は、愛媛県西条市実報寺から来た四之宮と言います。ルーツは平塚の四之宮から来たとの説がが有ります。」。互いに不思議な巡り合わせに驚いた。それから、楽しい会話が続いた。湘南の方は、会社を経営をされていたとのことである。IT機器関係の会社も運営されたとの話で、MSDOSやPCDOSの話題で盛り上がった。そして、バイクはゆっくりと自己のペースで取り回せば良いとの助言を頂いた。結局ホテルの部屋に入ったのは午後7時30分頃となった。でも、明日も新潟の他のホテルで宿泊だ。バイク駐車場もあり安心できる。緊張感が溶け、気持ち良く眠りにつけた。今回のバイクツーリング、予定通りなかなか行かない、初めて経験することが多く、毎日がチャレンジの連続である。これが、長期のバイクツーリングか、ハードになるなと改めて気を引き締めた。
(続く)
平成28年7月17日(日)
出発の用意をして、ホテルの普通乗用車用の駐車場に荷物を置かせて貰い、バイクを取りに行こうとすると、湘南の方がバイクに跨がり出発しようとしていた。昨日のお礼を述べ、出発を見送った。本当に不思議な出会いであった。バイクを取りに行き、荷物を積み、15分ばかりの距離にある、他のホテルに向かった。そして、ホテルに着いたので、宿泊費の支払いを済ませた。もう、午前11時になっていた。服をバイクウエアから着替えた。ここからが一仕事だ。雨の中を走行していたので、バイクウエア、バイク用パンツ、その他諸々のたまった、洗濯物のクリーニングを始めた。コーヒーを飲みながら、終わるのを待った。終了したので、今度は乾燥機だ。一時間ばかりかかるので、市内に出かけ、昼食を食べることとした。まずは、郵貯で金を引き出した。郵貯はバイクツーリングをする時便利である。全国至る所にあるからだ。商店街の入り口に、吉野家の牛丼があった。なぜか、食べたくなった。十数年ぶりに食べた。現役時代はよく食べたことを思い出した。吉野家を出ると、商店街を神輿が練り歩いていた。写真撮影をした。元気な笑顔で皆さんが楽しんでいた。ホテルに帰ると、洗濯物の乾燥は終えていた。午後3時のチェックインの時間になったので、手続きを済ませ、部屋に入った。重い荷物が2つ有るので、搬入に時間がかかる。まず、持ち物のチェック。ハードなバイクツーリングをしていると、どうしても紛失物が出てくる。落ち着いてチェックだ。そして、電子機器の充電をする。それから、タブレットを開け、天気予報を見る。明日の秋田までの行程は、降水確率40パーセントだ。それから、北海道の天気予報を見る。いくら晴れていてもホテルが無ければ、行くことが出来ない。特にこのシーズン北海道のホテルは満杯だ。スケジュールは2月から樹立し、何度も変更をした。出発時の14日に立てた計画が雨のため既に変更をしていた。と言うような毎日を過ごす。結構忙しいのだ。終え、夕食を食べ、入浴し、妻に電話をし、この日は眠りについた。
(続く)
平成28年7月18日(月)
今日は、秋田市までの約280キロのツーリングだ。280キロと言えば長距離と言えない。楽勝の日程だ。ただ、心配なのは降水確率40パーセントだ。雨が降ると、疲れがどっと来る。ホテルを出発。国道7号線を走る。そして、日本海東北自動車道に入る。対面交通の高速道路だ。途中から無料区間となる。朝日まほろばで高速は終了し、国道208号線となり、すぐ国道7号線と出くわした。右折をしてすぐに、道の駅朝日まほろば温泉があった。走りづくめであったので、休憩をする。まずは、水分補給だ。木陰で休憩をし、出発をしようとバイクの所に行くと、傍にバイクが止まった。ライダーが新潟県の方であったので、道路の状況を教えて頂いた。仕事があるので、なかなか長距離のツーリングが出来ないと言われた。愛媛県から来たと話すと、四国には是非行きたい、ルーツは高知県だと答えられた。エールを交換しお別れをした。国道7号線をずっと走行していると、山形県鶴岡市の道の駅あつみが見えた。沢山の人々がいた。休憩。昼食を取る。海産物が豊富であり、前面の日本海の風景が素晴らしい。しばらく休憩。風光明媚な日本海を左手に眺めながら走行。突然、雨が降り出す。気分がめいりそうに成る。落ち着いて、落ち着いてと自らに語りかける。雨が止み、秋田県境に近いPAで休憩。大惣忌神社の入り口の鳥居があった。一般国道、高速道などを走行しながら、やっと秋田市のホテルの近くに到着をした。雨の中の走行でかなり疲労が蓄積をしていた。やっとホテルで休憩できるとほっとした。しかし、駐車場あるが、バイク対応のものは見あたらないし、ホテルも見えない。聞くにも、聞けづ、途方に暮れていると、突然声がかかった。「バイクの駐車場をお探しですか。分からないでしょう。困っている方を良く見かけます。この様に行って下さい。」現役を退かれ、ウオーキング中の佐々木東一郎さんであった。「ありがとうございます。それではお教え頂いた通り行きます。」とバイクを走らせた。JR秋田駅前に出た。しかし、どう見ても駐車場はない。すると遠くの方で「こちらです。」と大声が聞こえて来た。佐々木東一郎さんであった。心配して先回りをし、待って頂いていたのだ。「駐車場の管理者にも連絡をしましたから、駐車し易いように入り口を開けてもらっています。こちらへ来て下さい。」と自らが先導を頂いた。しかし、正直な話、教えて頂かなければ到底分からないような通路であった。「管理者にこれでは分からないぞ。といつも言っているのですが。」と申し訳なさそうに言われた。そして、バイクを置き、2つ荷物を運ぼうとすると、「私が、部屋まで運びます。」と重い方の荷物を軽々と背負った。
佐々木さん74歳。山歩きをされ、またバイクにも乗られるそうである。足腰が痛み、部屋までの距離があり、疲労困憊の私には、本当に有り難かった。佐々木さんはホテルにも分かりにくいぞといつも話しているとのことであった。お礼にコーヒーをと話すと、近所に住まれ、この地域をテリトリーとしている佐々木さんは、「それでは、私が良く行く喫茶店へ。」とまめまめハウスに案内を頂いた。店長であり、(株)KIRAMEKIの代表取締役の坪井聡子さんは、すぐに美味しいコーヒーを出された。坪井さんにいきさつと、伊能忠敬の足跡を巡る会のことを話すと、「素晴らしいことをされていますね。」と興味を持たれた。話が弾み写真を撮影したりしていたが、坪井さんが「愛媛CATVにおられた、井関さんが、秋田放送で大活躍をし、ブレークしています。」と話された。愛媛県人が活躍をさていることを聞くのは気持ちが良いものです。時間も経過したので、支払いをしようとすると、坪井さんは、「サービスです。」と受け取られなかった。
翌日、佐々木さんが駐車場の管理者に話を通されていたので、バイクもスムーズに出すことが出来た。また、ホテルも、清潔で料理は美味かった。東北では、余りバイクに乗られる方が少ない。それで、バイクに目が届かないのはいた仕方の無いことでもある。
秋田県人の暖かさに感謝をしながら、眠りについた。
(続く)
平成28年7月19日(火)
今日は、青森市までの行程、約200キロだ。天候に恵まれれば、楽勝のケースだ。しかし、天気予報は、相変わらず、降水確率40パーセントだ。早朝秋田駅構内を歩いてみた。それは、近くにあれば、秋田県庁を訪問したいと思ったからだ。結果、駅からかなりの距離があったので、諦めた。それは、出発の時、痛んでいた足腰の痛みが増しており、困難と判断したからだ。それと、やはり降水確率40パーセントが重く頭にのしかかっていた。雨が降れば、計画が狂ってしまうからだ。出発をする。二つ荷物があるので、バイクの所に2度行く必要がある。駐車場の管理の方に声をかけた。昨日佐々木さんが声をかけて頂いたお陰で、丁重に、駐車場の出口まで案内を頂いた。お礼を述べると、元気で旅を続けるようにと、エールを頂いた。本来ならば、海岸線を走れば面白いのだが、雨に遭遇すると嫌なので、国道7号線から秋田自動車道に乗り入れた。秋田自動車道は2車線の対面交通だ。PAで休憩した後、また国道7号線になった。弘前市のPAで休憩。しばらく走ると再び、秋田自動車道の無料区間になった。そして、ついに、東北自動車道へのインターチェンジとなった。この、インターチェンジのことは脳裏に強く焼き付いていた。昨年の東北バイクツーリングで、岩手県に向かう時、初めて見たが、こちらへ行けば、秋田市か、一度行って見たいと思ったからだ。
東北自動車道をしばらく走ると、津軽SAになった。懐かしい思いがこみ上げて来た。昨年もこのPAで休憩をした。広大なリンゴ畑が見え感激をしたことを思い出した。今再び、北海道ツーリングで来ることが出来た。幸福感が一杯になった。しばらく感慨にふけり、出発。曇り空でやや肌寒くなってきたので、上半身にかっぱを着た。バイクグローブをメッシュから冬用に変えた。これが、成功だった。黒石あたりから猛烈な雨になった。気温も下がった。青森市を目前にし、また、試練。北海道の道のりはハードだなと、気持ちを引き締めた。雨も止み、青森市への出口になった。懐かしい道路。ホテル到着。お腹が空いた。懐かしい、青森港を見て、市内の食堂で焼き鯖定食を食べた。ホテルに帰って、青函フェリーの予約をネットで行った。初めて、津軽フェリーと青函フェリーの二つの連絡船があることを知った。明日は、いよいよ北海道だ。はやる心を静めながら眠りについた。
(続く)
平成28年7月20日(水)
ホテルを出発し、青森港に向かった。11時35分のフェリーに乗船をするためだ。津軽海峡フェリーターミナルに着いた。カウンターで、昨夜予約した番号を言った。ところが無かった。函館行きの連絡船は、もう一つ青函フェリーがあるとのこと。すぐ、近くに青函フェリー乗り場はあった。カウンターで受け付けをした。船に弱い私は気になったので「フェリーは揺れませんか、船酔いするものですから。」と聞いた。「船ですかから揺れます。乗船したら直ぐに、横になって寝て下さい。」と、余りにも当然の答えが返って来た。時間が来たので乗船。心配は杞憂に終わった。フェリーは少しも揺れること無く、快適な3時間40分の船旅となった。しかし、相変わらず空は雨雲が覆っている。横になったり、テーブルに腰をかけたりしている内に、竜飛岬が見えてきた。あれをご覧竜飛岬北の外れとー、と思わず口ずさんだ。やはり、竜飛岬は雨雲で霞んでいた。なぜか、しんみりと感傷的になった。そして、ついに函館の街が見えて来た。いよいよ、念願の北海道か、と高揚する気持ちを抑えることが出来なかった。フェリー着岸、降船。えも言われぬ満足感が体の中を巡った。「ヤッホー、北海道上陸。」とフェルメットの中で思わず叫んだ。上陸と言う事実を確かめるかのように函館市内の風景を噛みしめながら、バイクを走らせ、ホテルに着いた。チェックインを済ませ、市内に出た。お腹が空いていたので、無性にラーメンが食べたく成った。店に入った。美味しいラーメンで満足。JR函館駅に向かう。駅前の花は美しく、JR構内は異国情緒に溢れていた。それにしても、中国、台湾、韓国の観光客が多い。函館朝市の場所に向かう、海鮮のメニューが目に付く。いくらとほっけの定食を食べる。陸路で様々な経験をしながら、一週間かけて来た分、北海道へ来たのだとの達成感と満足感は高かった。一歩一歩踏みしめながら、明日に備え、赤煉瓦倉庫群、函館山の道筋を確かめる散策をした。ホテルに帰ると、直ぐタブレットパソコンを開き、天気予報、ホテルの空室状況を調べ、今後のスケジュールを練り直した。夜中に目を覚ますと再度、状況の変化を確認し、ホテルの予約の変更等を行った。そういう意味では北海道ツーリングは常に緊張の連続であったと言える。
(続く)
平成28年7月21日(木)
朝早く、起床した。それは、有本代表から、函館山にある、伊能忠敬の北海道測量開始地点の碑文を是非見るようにとの連絡があったからだ。バイクに乗って函館山に向かう。坂道を登って行くと、駐車場があった。駐車し、どの方向に行くのかと、道路に歩いて出た。驚くことに、ここからは、バイク通行禁止の交通標識があった。重いバイクウエアを着て、一時間以上はかかるだろう道を、頂上に向かって歩くことは、不可能である。途方に暮れていると、一台のタクシーが止まった。地獄に仏とはこのことだ、と頂上までお願いした。有り難いことに、この運転手さんは、観光に詳しく、函館山に関して説明をして頂いた。又、頂上では、伊能忠敬の碑文の前で、写真を撮って頂いたりした。早朝なので、まだ観光客は居らず、バイクで登れたとしても、自らの写真は撮ることが出来なかったと思う。北島三郎さんの生家の場所も指し示して頂いた。妻に言われた夜景は見ることが出来なかったが、目標を達成したので、バイクの駐車しているところまで帰り、お礼をを述べて、降車した。
バイクにガソリンを入れホテルに帰る。北海道ではバイクのガソリンに対し常に配慮が必要である。朝食の後、歩いて、函館市役所に向かう。街路樹から見る市庁舎は美しい。フロアを散策した後、名刺交換のため、観光部企画観光課を訪ねる。吉岡幹人さんに応対を頂いた。陸路、愛媛県から来たことを話すと大変驚かれ、函館山を背景に、写真を撮ろうとてきぱきと準備をされた。このような応対を頂くと、元気が蘇る。お礼を述べ、食堂に向かう。全国の役所の食堂を訪ねていると話すと、お勧めはカレーですと返答をされた。掛け値なしに美味しかった。ちなみにホテルの食事も工夫をされており、満足のいくものであった。又、妻から、赤煉瓦倉庫は見るようにと言われていたので開港通りを歩くと、赤煉瓦倉庫になった。函館港や函館運河も素晴らしくしばらくの間、写真撮影をしながら楽しんだ。北海道に来ているのだとじわじわ実感し始め、嬉しさがこみ上げて来た。
(続く)