愛媛大学少林寺拳法部創立60周年おめでとうございます。
総会に出席し、皆様とお会いしたかったのですが、4月に緑内障や白内障の手術、その後、熱中症にかかるなど体調がすぐれず、出席が叶いませんでした。
戸田監督には、ご配慮頂きましたが、申し分けなく思っています。
多くの皆様方にも、お便りに返信しないなど、不義理を重ねており、
心苦しい限りです。
私自身、体力回復に向け、現在、懸命に努力をし、所期の目的の実現に向け頑張っています。
心ばかりですが、義和門会に寄付をさせて頂きます
ご査収ください。
皆様のご健勝とご多幸を心からお祈り致します。
入学年度 40年度
四之宮忠正
平成26年5月10日(土)愛媛大学構内において、愛媛大学少林寺拳法部義和門会の総会が、開催されました。総会の後、懇親会に移り、現役の皆さんとOBが和気あいあいと楽しく、親交を図り、大いに盛り上がりを見せました。私は総会がある度に、同期のI君とO君のことが、頭に浮かんで来ます。行動力抜群のI君、それを支えるO君、本当に良いコンビでした。組織に縛られるのが苦手な私は、少林寺拳法部では優等生ではありませんが、私生活において、2人とともに行動したのは同期の中では、私ではないかと思います。私は当時、決して行動力はあるとは言えず、2人に引きずられるようにと言うのが実情だったと思います。
思い出は,やはり卒業を控えた2月に、3人で沖縄旅行をしたことです。私はまだ就職先が決定しておらず、家族の反対を押し切っての旅行でした。大分県中津市のO君の家で宿泊し、すき焼きをごちそうになりました。そして鹿児島から、ひめゆり丸に乗船し、沖縄に向かいましたが、船に弱い私は、鹿児島湾を出た途端、大波となり、激しい船酔いで、食事が喉を通らないほどでした。沖縄では、県庁を訪問したり、当時、黒いジェット機事件の最中で、デモがなされていたので、別に深い意味はなかったのですが、デモに参加したりしました。沖縄の澄み切った海のブルーに、大変感動を覚えましたが、一番の思い出は、沖縄の最北端辺戸岬に行った帰路、遠足中の中学生の方々のバスに乗せて頂き、みんなで若者の歌を大合唱したことでした。また、3人で自転車で四国一周もしました。まだ、国道が、全面的に舗装されていない時代で、学校やお寺に野宿しながらの旅でした。真夏でしたので焼け付くように暑く、最後はお互い疲れ切って、ものも言わなくなりましたが、無事終わることが出来ました。合否電報の取り扱い事業にも取り組みました。(この事業で彼の行動力が遺憾なく発揮されます。愛媛大学公認を取り付け、証書を頂き、少林寺拳法部推薦とし、これを持ち、受験生が宿泊のホテル、旅館にセールスに打って出ました。他の合否電報事業の方々は受験当日の受付ですが、我々は、一歩先んじた訳です。結果、一人5万円の利益を得ました。当時の公務員の初任給が2万5千円の時代です。これを資金にして、沖縄旅行に行きました。ここでも彼はユニークです。ウイスキーのジョニ黒を購入します。当時日本ではまだ、高級ウイスキーでした。)。いつも思いつくのはI君、やろうと合意するのはO君、そして何となくするのが私、との構図でした。実社会に出て、この時の経験が大変役立ちました。つまり行動すれば、何ものにも代え難いものが得られると言うことです。この精神が潜在意識として残っており、何かあるごとに今でも浮かんできます。残念ながら、2人はもういません。総会を機に、2人を偲んで紹介をさせて頂きました。
今回、懇親会で、事業に取り組み奮闘されている方と、お話をする機会を得ました。私も及ばずながら自らの可能性を真剣に模索しておりますから、こういう方と話をすると、大変勇気が湧いて来ます。また、次回の再会が楽しみです。
伺うと、戸田監督は今年で監督歴23年を迎えるとのことでした。大変興味を持ちましたので、練習風景を取材させて頂くようお願いをし、了解を頂きました。楽しみです。
義和門会田中会長さん、戸田監督、愛媛大学少林寺拳法部のみなさん、総会の開催お疲れ様でした。
愛媛大学少林寺拳法部の結成以来の大きな礎であられた合田先生が平成27年11月30日に逝去されました。先生からお教えを頂きました不撓不屈の精神を忘れずチャレンジを続けたいと思います。
合掌
一拳多生
合田先生が好まれた言葉です。先生が残されたこの言葉の意味を噛みしめながら愛大少林寺拳法部を指導してゆきたいと思っています
愛媛大学少林寺拳法部監督
戸田正和
合田先生の葬儀には、通夜と告別式をあわせて義和門会からは30名を越すOB・OGの皆様が参列されていました。お亡くなりになった前日の武専ではお元気な道衣姿でしたし、私もお話したところでしたので、本当に驚きました。
総裁が翌週の武専で、合田先生は「忽然と私達の前から姿を消した」と話されてましたが、本当にそのような状況でした。
私自身もまだまだご指導頂きたいことも多かったですし、寂しくてなりませんが、これからも合田先生の熱い心を受け継いで頑張って行きたいと思っています。
愛媛大学少林寺拳法部羲和門会 会長 田中伸彦
1963年から 1967年まで所属(福本正敬と同期)、当時は道場はなく夏は運動場、冬は城山まで裸足で駆け上がってお城の街灯の下での練習する。今考えるとよくできたものだと思う。
写真の道場を見るとすこし羨ましい気持ちです。
卒業後渡米して今も教えている。
私にとって親戚の良い叔父さん感覚だった合田先生が亡くなり
ウエブサーチをしている中この義和門会を見つけた。
事あり組織からは離れる羽目になったが合田先生は私にとって一生の先生でありまたそれ以上の人生の師でありそれは今からも続く。義和門会の存続と発展を祈ります。
愛媛大学少林寺拳法部義和門会会員 木村裕明
昨年11月30日に合田先生が逝去され、12月3日のご葬儀に列席して参りました。50年に及ぶ交流でした。宗道臣開祖の精神と教えを体現する唯一の拳士であったと思います。享年86歳、巨星堕つ。まことに残念の極みです。
愛媛大学少林寺拳法部羲和門会
会員 高橋 登
義和門会総会 合田先生を囲んで









I君を赤穂市に墓参 リンク先のGaiiery1にあります
リンク先のMore 宇和島じゃこ天カーニバルにあります
愛媛大学少林寺拳法部訪問
義和門拳の道を行く
半ばは他人の幸せを
戸田監督、守主将率いる愛媛大学少林寺拳法部を訪ねました。
凜とした緊張感に溢れていました。
戸田監督紹介
I君を偲ぶ会を赤穂市において行う
平成26年6月29日(日)赤穂市にあるI君の菩提寺万福寺において愛媛大学少林寺拳法部の同期、高橋登君、藤岡明信君そして私の3人でI君の墓前に参り偲ぶ会を執り行いました。まず、菩提寺にお布施をお願いしました。そして、線香を手向け、酒を供えました。I君を交え思い出話やお互いの現状などとりとめのない雑談にふけりました。一瞬学生時代と錯覚するような本当に穏やかな空気が流れました。まるでI君が今目の前に居るような不思議な感覚でした。それは、高橋君も藤岡君も感じたようでした。お互いが思わず「本当に来て良かった。」と言葉を交わしました。
この日も本当に不思議な事が起きました。まず、梅雨の季節にも関わらず晴れの日となったことです。天気予報では雨となっていました。なんとしてもI君の墓前にはバイクで行きたいと思っていた私が娘にそのことを話した所「大丈夫Iさんが晴れにしてくれる。」と答えましたがそのとおりになりました。
また、バイク日本一周、県庁、市役所名刺交換を目指す私としては共にチャレンジをしようと誓ったI君のお膝元赤穂市役所の訪問はなんとしても成し遂げなければ様にならないことに気がつきました。だが今日29日は日曜日通常は閉まっている。しかしI君絡みでは不思議な事がしばしば起こっている。市役所がひょっとしたら開いているかも知れないといちずの期待を持って訪問しました。するとひょっとしたことが起こりました。受付に2人の女性がおられるではありませんか。うれしさの余り少し興奮して事情をお話したせいかはじめは戸惑われたようでしたが、無理なお願いとは思いましたがご理解頂き休日出勤していた、市民対話課町づくり係長 宮本昌英さんを紹介頂きました。お話すると気持ちよく名刺交換をしたうえ更に日本一周成功へのエールまで頂きました。I君に対して面目を保つことが出来本当にほっとしました。
そして極めつきは、住職の奥様に写真撮影をお願いした後、伊能忠敬の足跡を巡る会の名刺をお受け取り頂き「押忍」の字はI君の直筆だとお話しをしました。するとその名刺をご住職にお渡ししたあと、またお越し頂き「住職が伊能忠敬は当寺にも来たと伝えて欲しい。」とのことでしたと話されました。高橋君が「I君絡みでは本当に不思議なことが起こるな。世の中には理屈では語れないことがある。」と感嘆の声を上げました。
今回のI君を偲ぶ会でもこのようにI君の思いやりがしみじみとと感じさせられました。しばらく、そのようなえもいわれぬ穏やかな時を過ごし3人は「また、会おう」と爽やかな気持ちに満足し寺を後にしました。
四之宮 高橋 藤岡

赤穂市役所





